「中東ビジネスレポート:レバノン」BBC②
投稿者: imonoyamashotengai 投稿日時: 2006/09/03 05:35 投稿番号: [11749 / 20008]
政府は外国からの資金を募っています。
フランスが組み立て式の橋を先週ベイルートに運びました。
こうした作業の手配を主導している人が
公務員ではなく、民間ビジネスマンです。
エリアット・ブサブさんはその一人、UAE・レバノン友好協会の会長です。
レバノン南部の学校、病院、建設を手掛けています。
地元企業、地元住民を雇うことが鍵だと言います。
(ELIAS BOUSAAB:UAE-Lebanon Friendship Association)
『話をした、興味を示す人は皆地元の人を雇うことが重要だと言います。
戦争は悪いことです。決して良いことではありません。
しかし復興作業が適切に行われれば、
経済にとって、地元の人々にとって良い結果をもたらします』
(MOHAMMAD AL SAFADI:Minister of Public Works & Transportation)
『まずは仮設の住居を建てること。
それから恒久的な家屋を建設しなくてはなりません。
人々は元の村や町に戻ってもテント暮らしをしています。
あるいは友人の家に身を寄せています。
人々の尊厳を回復しなければなりません。
我々は資金援助よりも物理的な援助の方が重要だと考えています。
橋や道路を再び造らなくてはなりません。
住宅を建設しなければなりません。
そのような復興プログラムが必要です』
<裕福な家族が資金を提供するいわゆるボランティア活動はどのくらいの
割合を占めるんでしょうか、国が担当するのはどのくらいの割合ですか>
『100%無償の援助が必要です。
それが望ましい訳ですが、それはほぼ不可能でしょう。
我々としては75%が無償援助、もしくは寄付。
後の25%を政府が負担する方式を考えています』
<外国からの援助を求めるとしたら、
下請け会社もその外国の会社が入り込んで来るんじゃありませんか。
それはレバノンにとってプラスではありませんよね>
『外国企業が資本参加するとしても、
下請け会社はレバノンの会社を使って欲しいと思います。
レバノン人を雇って欲しいと思います。
そのように説得したいと思います。
そうすれば問題はなくなります』
『20から30億ドルが必要です。
政府歳入は60から70%減っています』
バーやレストランは再開しています。
I love you Lebanon
ジョーアシュカさんが歌っています。
戦後レバノンの若者の愛唱歌となりました。
土曜日の夜、クラブ、カジノで演奏されています。
人々は戦争中一か月家の中に閉じこもったきりでした。
戦争が終わって外出し始めました。
『33日間、刑務所暮らしのようでした』
(JIHAD ASHKAR:Co-owner,Casino nightclub)
『戦後皆が外出しています。
以前はここにアラブ人や外国人が溢れていました。
しかし今はレバノン人だけです』
ベイルートの丘陵地帯にあるプリンタニアホテルの朝。
戦争中は爆撃を逃れて人々がここに集まりました。
しかし今もプリンタニアホテルなどの
ホテルの部屋の占有率は五分の一以下です。
(PIERRE ACHKAR:President, Lebanese Hotellers' Association)
『今年前半は2004年の20%増しの観光客が来ました。
だから良い調子だと思っていたんです。
でも72時間でレバノンが一変しました。
観光客が一斉に引き上げました。
国のイメージが戦争によって悪く変わります。
また最初から宣伝しなくてはなりません』
外国人観光客の三分の二が他の湾岸諸国からの人でした。
ここの自由でエキサイティングな雰囲気を楽しんでいました。
過去四年間、観光客は増加していました」
フランスが組み立て式の橋を先週ベイルートに運びました。
こうした作業の手配を主導している人が
公務員ではなく、民間ビジネスマンです。
エリアット・ブサブさんはその一人、UAE・レバノン友好協会の会長です。
レバノン南部の学校、病院、建設を手掛けています。
地元企業、地元住民を雇うことが鍵だと言います。
(ELIAS BOUSAAB:UAE-Lebanon Friendship Association)
『話をした、興味を示す人は皆地元の人を雇うことが重要だと言います。
戦争は悪いことです。決して良いことではありません。
しかし復興作業が適切に行われれば、
経済にとって、地元の人々にとって良い結果をもたらします』
(MOHAMMAD AL SAFADI:Minister of Public Works & Transportation)
『まずは仮設の住居を建てること。
それから恒久的な家屋を建設しなくてはなりません。
人々は元の村や町に戻ってもテント暮らしをしています。
あるいは友人の家に身を寄せています。
人々の尊厳を回復しなければなりません。
我々は資金援助よりも物理的な援助の方が重要だと考えています。
橋や道路を再び造らなくてはなりません。
住宅を建設しなければなりません。
そのような復興プログラムが必要です』
<裕福な家族が資金を提供するいわゆるボランティア活動はどのくらいの
割合を占めるんでしょうか、国が担当するのはどのくらいの割合ですか>
『100%無償の援助が必要です。
それが望ましい訳ですが、それはほぼ不可能でしょう。
我々としては75%が無償援助、もしくは寄付。
後の25%を政府が負担する方式を考えています』
<外国からの援助を求めるとしたら、
下請け会社もその外国の会社が入り込んで来るんじゃありませんか。
それはレバノンにとってプラスではありませんよね>
『外国企業が資本参加するとしても、
下請け会社はレバノンの会社を使って欲しいと思います。
レバノン人を雇って欲しいと思います。
そのように説得したいと思います。
そうすれば問題はなくなります』
『20から30億ドルが必要です。
政府歳入は60から70%減っています』
バーやレストランは再開しています。
I love you Lebanon
ジョーアシュカさんが歌っています。
戦後レバノンの若者の愛唱歌となりました。
土曜日の夜、クラブ、カジノで演奏されています。
人々は戦争中一か月家の中に閉じこもったきりでした。
戦争が終わって外出し始めました。
『33日間、刑務所暮らしのようでした』
(JIHAD ASHKAR:Co-owner,Casino nightclub)
『戦後皆が外出しています。
以前はここにアラブ人や外国人が溢れていました。
しかし今はレバノン人だけです』
ベイルートの丘陵地帯にあるプリンタニアホテルの朝。
戦争中は爆撃を逃れて人々がここに集まりました。
しかし今もプリンタニアホテルなどの
ホテルの部屋の占有率は五分の一以下です。
(PIERRE ACHKAR:President, Lebanese Hotellers' Association)
『今年前半は2004年の20%増しの観光客が来ました。
だから良い調子だと思っていたんです。
でも72時間でレバノンが一変しました。
観光客が一斉に引き上げました。
国のイメージが戦争によって悪く変わります。
また最初から宣伝しなくてはなりません』
外国人観光客の三分の二が他の湾岸諸国からの人でした。
ここの自由でエキサイティングな雰囲気を楽しんでいました。
過去四年間、観光客は増加していました」
これは メッセージ 11748 (imonoyamashotengai さん)への返信です.
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