イスラエル聖地としての由来
投稿者: TERUTERUKID 投稿日時: 2000/12/22 14:11 投稿番号: [1130 / 20008]
旧約聖書によれば、もともと神は人の作った家になど住まない、地は私の足台であるといってエルサレムに神殿を作ることを戒めました。
そりゃ、地縛霊じゃあるまいし、全てが神のものであるような全能の神に、たかが人間が家を作ってあげるなど可笑しい話です。しかし、あまりに民が望むのでソロモンに作ることを許しました。
イスラエルの王にしたって神は私がいて民がいるそれで充分というのに民が王が欲しいとしつこいので「後悔するぞ」と説明付きで許しました。
要するに地表はすべて神の聖地なのにイスラエルが神の警告にもかかわらずエルサレムを限定された聖地としたのです。
そうなった以上イスラエルは「自分の求めた事には責任あり」で当然の結果が生じたということでしょう。いまさら神の聖なるエルサレムを汚すなんてことがあったらイスラエルは申し開きできないわけです。
イスラエルにとってはエルサレムは譲るべきものではなく奪われるべきものなのかもしれません。
心情的にはエルサレムだけは彼らにと思わないでもないですが、それで「我々は神の選民である」と誇るならむしろ奪われた方が良いのかもしれません。
(注:教義では違う理解もあるかもしれません)
これは メッセージ 1129 (pobrechico さん)への返信です.
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