ロシアの旅 (2) - 生いたち
投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/11/23 16:15 投稿番号: [7384 / 73791]
物心ついたときには、私には父という人はおりませんでした。幼稚園に入る前、近所の公園で仲良しのお友達が「お父さん」とか「パパ」とか呼んでいる大人の男の人と楽しそうに遊んだり、おねだりしているのをいつもうらやましく見ておりました。
ある日、母に聞きました。
「どうして直ちゃんにはパパがいないの、ねえどうして?」
母は一瞬困ったような顔でしたが、
「パパは、直ちゃんが赤ちゃんのときに亡くなったの。そうねえ、パパはね、天国で直ちゃんのこと見てるから...」
「天国ってどこ、どこにあるの?」
母は、空をゆびさしました。まばゆいばかりの青空に真っ白い雲が浮かんでおりました。
母は、ある男性と激しい恋をしました。でもある日、
「急に帰ることになった...」
と言って、素性をはなしてくれたそうです。それまで日本人だと思っていた男性は、中央アジア系のロシア人でした。顔付きも言葉も日本人、そして名前も日本人を名乗っていたそうですから、母の驚きようは想像できます。「数ヶ月で帰ってくる」と言ってお別れしたそうです。そのとき、母は私を身ごもっていたことにまだ気付いておりませんでした。数ヶ月たってもその男性は帰ってきません、連絡ひとつありません。母は私を生むかどうか大変迷ったそうですが、その男性を愛するあまり、信じて私を生みました。それでも連絡がありません。
私の母の母、私の祖母は名のある芸奴さんでした。私が幼稚園のときから、躾や作法にとってもうるさく、猫背になって畳にぺたんと座って絵本を読んでいたり、お人形さんと一人遊びしていると、すぐに竹の三尺の物差しが飛んでまいりました。何気なく部屋を歩いていても、姿勢が悪いとおこられては物差しが飛んでまいりました。だから、子供ごころに祖母はとてもこわい存在でした。古く大きな家で、日本舞踊の稽古場もあって、小学校にはいると毎日のようにお稽古させられました。母の踊りはとてもきれいで、いつも見とれておりました。美しい着物に見とれていたのか、母の表情や仕草にみとれていたのか...。いえ、そのすべてにみとれていたように思います。そんなとき、祖母のお知り合いだとかいう祖母と同じぐらいのお歳の男性がちょくちょく稽古場にいらっしゃって、母の踊る姿をじっと見つめておりました。
私が小学校4年の時、母にとってもしかられて家出したことがあります。冬の寒い日でした。何でしかられたのか、もう記憶がはっきりしませんが、とてもさみしく感じて、ひとりぽっちになったような気がして、家を飛び出したのです。そうそう、たぶん踊りのお稽古でいやんなっちゃって、祖母に反抗したことが原因だったようです。お金もなく、あてもなく、ただもくもくと歩いて、お腹が空いて、そして夜になって、気が付いたら家の前におりました。
それからまもなく、その初老の男性がきて、私を彼の道場へ連れていきました。剣道場で、二十人ばかりの小学生や中学生の男の子、女の子が稽古しておりました。それからというものは、学校が終わるとその道場へ行き、素振りから始めて、厳しいお稽古の連続。家に帰ると、こんどは踊りのお稽古でした。
6年生の時、初めて試合に出ました。とても緊張してしまい、何もわからないうちに負けてしまいました。私ひとり道場に呼び出されると、師範代のこわい先生が待っておりました。私を羽目板に押し飛ばしたり、足払いで道場の床板にひっくりかえしたり、上からのしかかって床に押しつぶしたり、竹刀を落とすと、道場の外、どしゃぶりの雨の中に放り投げて、さあとってこいと言ったり、それはそれはものすごくしごかれました。
道場主であり、なになに流師範のその初老の男性は、そんな私にはただ無表情でした。その方には奥様と邦夫さんという剣道の強い青年がおりました。邦夫さんは、私にはとってもやさしく、すてきな人に見えました。私の初恋の人です。だから、どんなに厳しい稽古にもついてこれたのだと思っております。私って、小学生のときからおませだったんですわね、きっと...。
<続く>
直子
ある日、母に聞きました。
「どうして直ちゃんにはパパがいないの、ねえどうして?」
母は一瞬困ったような顔でしたが、
「パパは、直ちゃんが赤ちゃんのときに亡くなったの。そうねえ、パパはね、天国で直ちゃんのこと見てるから...」
「天国ってどこ、どこにあるの?」
母は、空をゆびさしました。まばゆいばかりの青空に真っ白い雲が浮かんでおりました。
母は、ある男性と激しい恋をしました。でもある日、
「急に帰ることになった...」
と言って、素性をはなしてくれたそうです。それまで日本人だと思っていた男性は、中央アジア系のロシア人でした。顔付きも言葉も日本人、そして名前も日本人を名乗っていたそうですから、母の驚きようは想像できます。「数ヶ月で帰ってくる」と言ってお別れしたそうです。そのとき、母は私を身ごもっていたことにまだ気付いておりませんでした。数ヶ月たってもその男性は帰ってきません、連絡ひとつありません。母は私を生むかどうか大変迷ったそうですが、その男性を愛するあまり、信じて私を生みました。それでも連絡がありません。
私の母の母、私の祖母は名のある芸奴さんでした。私が幼稚園のときから、躾や作法にとってもうるさく、猫背になって畳にぺたんと座って絵本を読んでいたり、お人形さんと一人遊びしていると、すぐに竹の三尺の物差しが飛んでまいりました。何気なく部屋を歩いていても、姿勢が悪いとおこられては物差しが飛んでまいりました。だから、子供ごころに祖母はとてもこわい存在でした。古く大きな家で、日本舞踊の稽古場もあって、小学校にはいると毎日のようにお稽古させられました。母の踊りはとてもきれいで、いつも見とれておりました。美しい着物に見とれていたのか、母の表情や仕草にみとれていたのか...。いえ、そのすべてにみとれていたように思います。そんなとき、祖母のお知り合いだとかいう祖母と同じぐらいのお歳の男性がちょくちょく稽古場にいらっしゃって、母の踊る姿をじっと見つめておりました。
私が小学校4年の時、母にとってもしかられて家出したことがあります。冬の寒い日でした。何でしかられたのか、もう記憶がはっきりしませんが、とてもさみしく感じて、ひとりぽっちになったような気がして、家を飛び出したのです。そうそう、たぶん踊りのお稽古でいやんなっちゃって、祖母に反抗したことが原因だったようです。お金もなく、あてもなく、ただもくもくと歩いて、お腹が空いて、そして夜になって、気が付いたら家の前におりました。
それからまもなく、その初老の男性がきて、私を彼の道場へ連れていきました。剣道場で、二十人ばかりの小学生や中学生の男の子、女の子が稽古しておりました。それからというものは、学校が終わるとその道場へ行き、素振りから始めて、厳しいお稽古の連続。家に帰ると、こんどは踊りのお稽古でした。
6年生の時、初めて試合に出ました。とても緊張してしまい、何もわからないうちに負けてしまいました。私ひとり道場に呼び出されると、師範代のこわい先生が待っておりました。私を羽目板に押し飛ばしたり、足払いで道場の床板にひっくりかえしたり、上からのしかかって床に押しつぶしたり、竹刀を落とすと、道場の外、どしゃぶりの雨の中に放り投げて、さあとってこいと言ったり、それはそれはものすごくしごかれました。
道場主であり、なになに流師範のその初老の男性は、そんな私にはただ無表情でした。その方には奥様と邦夫さんという剣道の強い青年がおりました。邦夫さんは、私にはとってもやさしく、すてきな人に見えました。私の初恋の人です。だから、どんなに厳しい稽古にもついてこれたのだと思っております。私って、小学生のときからおませだったんですわね、きっと...。
<続く>
直子
これは メッセージ 7383 (k_g_y_7_234 さん)への返信です.