ソウル17(番外編)
投稿者: k_g_y_7_234 投稿日時: 2006/11/19 20:24 投稿番号: [7048 / 73791]
水牛の塩味だけの肉にコリンズは、「デリシャス!」といった。儂はそのまま彼を部下達の宴に同席させた。どうしてかな?
部下達のほとんどがコリンズの笑顔に笑顔を返したからである。あの山下の無惨な死から何日も経っておらんかったが、部下達はコリンズが山下を殺した本人ではないことを知っておったし、コリンズが僚機を心配してエスコートしておったことも部下達は見ておった。単に打ち落とされただけの憎き敵兵であれば、こういう展開はなかったであろう。
ほとんどの部下達は、いや儂も含めて全員であるが、アメリカ人の生死を支配下に置いた経験は初めてのことである。彼の家族の写真には、誰もが畏敬の念を抱いた。我々とはまったく違う、米国上流家庭の気品があって、皆これに圧倒された。
儂は、若い頃、日本が英米に宣戦布告する前、イギリスでわずか数ヶ月であったがホームステイしたことがある。その家族は商売人であったから、すべてに打算があって好かんかったが、それでも儂のようなぽっと出の日本人には目を見張るほどの格調があった。町並も日本とはまったく異なり、しっとりと落ち着いたたたずまいであった。
儂の部下達はほとんど英語が分からんかったが、それでも知っておる単語を使ってはコリンズに話しかけておった。コリンズも忍耐強くきちんと返事をしておったが、何せ言葉がいうことを聞かん。儂が通訳したが、部下達は儂の通訳よりも直接彼から聞きたがった。部下達にとり、儂は階級でこそ上であっったが、あくまでも青二才。出しゃばってはならんことを察した。
当時、儂はちと遅い思春期真っ盛りであったが、せつない片想いを抱えたまま戦場にかり出され、意中の人とは出征の挨拶の機会すらもなかった。これが何としても生き延びよう、生きて帰ってこよう、いわゆる生への執着となって、上層部の捨て駒のような命令、犬死にせよという作戦にはことごとく反発した。
こんな儂であったから、単なる青二才であった儂でも、年齢も経験も大先輩である海千山千の部下たちに気に入られたようである。誰でも命は無駄にしたくない。しかし、いざとなれば玉砕も覚悟した。あくまでも最後の最後、他に道がないときである。戦争末期には、武器にも弾薬にも食料にもこと欠く中、精神論ばかりが横行した。
中でも、水と食料の欠乏はこたえた。後で聞こえてきたインパール作戦が正にそうである。作戦自体は、チャンドラボーズとの連携で、インドを我が方につける遠大な作戦であり、本隊からは、かなりの兵がこの作戦にかり出されたが、結果、ジャングルの中を強行軍し、体力が消耗し、飲料水の確保と食料・弾薬の補給が途絶え、惨憺たる結果になったことは周知のとおりである。熱帯で身体を動かせば、すぐに喉が渇く。大部隊であればあるほど、飲料水が大量に必要となる。その辺の水を飲めば、現地人とは違って日本人には抵抗力がないから、すぐに下痢症状を起こし、脱水状態となる。これでは戦えん。
儂が体験した中で最も大変だったのは、米軍の艦砲射撃である。見えない敵からシュシュシュと砲弾が雨あられのように飛んでくる。これは、実に生きた心地がしなかった。
マイク・コリンズは、一回りも年下の儂に不思議な友情を抱いたようである。おかげで例の少佐も、敵の下っ端士官にしかすぎない儂の意見をことごとく尊重してくれた。しかし、彼も米軍の中では一介の少佐である。できることに限界があった。おかげで儂の帰還はずっと後になった。以上。
爺
ほとんどの部下達は、いや儂も含めて全員であるが、アメリカ人の生死を支配下に置いた経験は初めてのことである。彼の家族の写真には、誰もが畏敬の念を抱いた。我々とはまったく違う、米国上流家庭の気品があって、皆これに圧倒された。
儂は、若い頃、日本が英米に宣戦布告する前、イギリスでわずか数ヶ月であったがホームステイしたことがある。その家族は商売人であったから、すべてに打算があって好かんかったが、それでも儂のようなぽっと出の日本人には目を見張るほどの格調があった。町並も日本とはまったく異なり、しっとりと落ち着いたたたずまいであった。
儂の部下達はほとんど英語が分からんかったが、それでも知っておる単語を使ってはコリンズに話しかけておった。コリンズも忍耐強くきちんと返事をしておったが、何せ言葉がいうことを聞かん。儂が通訳したが、部下達は儂の通訳よりも直接彼から聞きたがった。部下達にとり、儂は階級でこそ上であっったが、あくまでも青二才。出しゃばってはならんことを察した。
当時、儂はちと遅い思春期真っ盛りであったが、せつない片想いを抱えたまま戦場にかり出され、意中の人とは出征の挨拶の機会すらもなかった。これが何としても生き延びよう、生きて帰ってこよう、いわゆる生への執着となって、上層部の捨て駒のような命令、犬死にせよという作戦にはことごとく反発した。
こんな儂であったから、単なる青二才であった儂でも、年齢も経験も大先輩である海千山千の部下たちに気に入られたようである。誰でも命は無駄にしたくない。しかし、いざとなれば玉砕も覚悟した。あくまでも最後の最後、他に道がないときである。戦争末期には、武器にも弾薬にも食料にもこと欠く中、精神論ばかりが横行した。
中でも、水と食料の欠乏はこたえた。後で聞こえてきたインパール作戦が正にそうである。作戦自体は、チャンドラボーズとの連携で、インドを我が方につける遠大な作戦であり、本隊からは、かなりの兵がこの作戦にかり出されたが、結果、ジャングルの中を強行軍し、体力が消耗し、飲料水の確保と食料・弾薬の補給が途絶え、惨憺たる結果になったことは周知のとおりである。熱帯で身体を動かせば、すぐに喉が渇く。大部隊であればあるほど、飲料水が大量に必要となる。その辺の水を飲めば、現地人とは違って日本人には抵抗力がないから、すぐに下痢症状を起こし、脱水状態となる。これでは戦えん。
儂が体験した中で最も大変だったのは、米軍の艦砲射撃である。見えない敵からシュシュシュと砲弾が雨あられのように飛んでくる。これは、実に生きた心地がしなかった。
マイク・コリンズは、一回りも年下の儂に不思議な友情を抱いたようである。おかげで例の少佐も、敵の下っ端士官にしかすぎない儂の意見をことごとく尊重してくれた。しかし、彼も米軍の中では一介の少佐である。できることに限界があった。おかげで儂の帰還はずっと後になった。以上。
爺
これは メッセージ 6768 (k_g_y_7_234 さん)への返信です.