Re: 姆渡遺跡は、縄文人の居留地 ③−3
投稿者: monjujz 投稿日時: 2011/08/09 20:00 投稿番号: [69316 / 73791]
kirameku9umi さん、いつも面白い話をどうもです。
そういえば、この古代史談義の発端になったロム専君どうしたんでしょう。
アンチの立場からでもいいから、参加すればいいのに。(w
>石器時代の建築に使われるのは栗の木ですが、これにはちゃんとした理由があります。
>実験で検証されたことなんですが・・・石器で加工できる木材は、栗のように堅い木材しか使えません。杉などの柔らかい木材では、石刃によって木の組織がつぶれるからなんです。
そうはいっても、三内丸山遺跡で使われている栗の木は直径2メートルですよね。しかも高さ20メートル。
石器だけで切り倒すのにどれだけ労力が要ったか?
運ぶのも大変だし、組み合わせるのも大変。
地元のお祭りで一寸前まで、幟を立てるのにケヤキの木を使ってました。
直径はせいぜい30センチ、高さ10メートルと言うところだったでしょうか?
それでも大変でした。コンクリートの固定場所に合わせて、3方からロープで吊り上げる。10人掛かりでしたね。
三内丸山の場合は体積・重量でその何十倍かの立て柱を固定したわけです。が、もっと大変なのは横柱。どうやって吊り上げて組み立てたんでしょうか?
>私は・・・石器時代には河姆渡遺蹟など長江文明より縄文文化の方が、建築技術が進んでいたと推測してます。
私もそうではないかなという気はしてます。
栗の木の話ですが。
私は横浜の田園地帯の生まれです。
小学生の頃まで開発される前は、野生の栗の木は一杯あったんです。
でも、直径30センチもあれば栗の木としては大木。
それをはるかに上回る栗の木がゴロゴロしてた縄文時代って、想像するだけで雄大。
行ったことはないけど、屋久島みたいな風景だったんでしょうか?
これは メッセージ 69308 (kirameku9umi さん)への返信です.
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