Re: 姆渡遺跡は、縄文人の居留地 ③−3
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2011/08/08 12:44 投稿番号: [69281 / 73791]
>縄文人(日本人)は僅かの人数の渡来人に占領されるほど間抜けで、バカな民族だったのでしょうかね?。
この返事は前の投稿と重複しますが、以下に過去の投稿から転機させていただきます。
「弥生人=渡来人」説の大嘘
その①・・・「弥生人=渡来人」説の否定(病理学の見地から検証)
「成人T細胞白血病・ATLの患者やキャリア(東アジアでは日本人しかいない。中国・韓国には如何に調査してもまったく発見できない)の分布が九州や沖縄で圧倒的に集中していることから、ATLゼロの渡来人が北部九州に上陸し、稲作を始め、縄文人と混血し、人口が増加したのなら、その地のキャリアが真っ先に最小となるはずなのに逆に多くなっていると」言う点。
「①ATLウイルスを持たない多くの渡来人が大陸や半島から渡来したのなら、わが国で最初に水田稲作が行われた北部九州や土井ヶ浜付近からゼロになるはずである。
②だが、菜畑遺蹟のある佐賀、板付遺蹟のある福岡、土井ヶ浜のある山口県西部のあたりにキャリアが多く、対馬、隠岐の島、五島列島、長崎などはさらに高い感染率になっている。ついで多いのが近畿となっている。
③縄文人と渡来人との混血がキャリア減少の原因なら、渡来人が最初に上陸し、より早くから混血が進んだであろう、九州や近畿などの方が、関東や中部よりキャリアが少なくなって当然である。
④従って北部九州へとやって来た渡来人は少数だったし、子孫も少なかったと断ぜざるを得ない」
その②・・・縄文人と弥生人の骨格の比較から「弥生人=渡来人」とする嘘。
骨格や歯型の比較から、「弥生人=渡来人」とする説には、重大なデータの欠落がある。それは、「縄文時代の終わりから弥生時代の開始時期にかけての、最も肝要な移行期の人骨がほとんど発掘されておらず、欠落していることである」
これを分かり安く例えれば・・・江戸時代から現在の日本人へと続く、「移行期の人骨データ」が欠落しているにもかかわらず、単に江戸時代の人骨と現代の日本人の骨格を比較して、アゴや頭骨・歯型・身長がまったく違うから、現代と江戸時代では人種が違っていると言っているに等しいぐらい馬鹿げた検証と説である。
戦後から今日にかけても、短期間のうちに、欧米化した食生活で日本人の骨格は、アゴが細く面長となり、ラングイ歯が増え、身長も高くなった。千年以上も隔たりがある縄文と弥生時代ならなおさら、骨格や歯の変化は大きい。
食文化の改善から言えば、栄養価の高い米作りは、日本の方が朝鮮よりも三千年も早い。(半島の米作りは紀元前1千年頃、すなわち今から約3千年前に畑作物として、栽培され始めた。日本の陸稲は6千年前の縄文時代にまで遡る。稲作は遺伝子の研究から、日本から朝鮮半島に伝播したことが、近年明らかになっている)
「縄文時代から弥生時代にかけては、日本の歴史上最も劇的に人々の生活が変わった時期である。農耕が本格的に始まり、主食もドングリからコメへと変わった。いずれにしても、新たな人々の流入が無くても当時の顔型や体つきの変化は十分説明が付くという点で渡来説とは真っ向ぶつかるものだ」
その③・・・考古学遺蹟から見る「弥生人=渡来人」説の嘘
日本最古の水田跡がある佐賀県の「菜畑遺蹟は渡来人が最初に入植したムラではありえない。何しろ、縄文人の人たちのムラである証拠は山ほどあるが、シナ大陸から渡来人がやって来たという証拠は皆無なのだ。証拠に基づいて語れば話は逆で、縄文時代から九州の人たちは朝鮮半島南部に進出し、日本との間を行き来していた」
「北九州に成立した水田稲作文化は急激に東へ波及し(中略)。その波及には、多くの大陸伝来の要素が欠落しており、まさに縄文文化の中に稲作だけが持ち込まれた状態を示している。また、この地域では土偶・石棒のような縄文文化独特の精神的道具を保持しているのである。従って、この稲作の波及には渡来人の関与はなかったと考えるのが妥当であろう」
「北部九州から漢代の大陸系集落や土器・生活用具が出土したと言う話など聞いたことがない。つまり、大陸から渡来人がやって来たと言うのは単なる推測であり、物的証拠は相変わらずゼロである」
考古学的資料から導き出される結論は・・・渡来者の数は1年に2〜3家族ほどパラパラと来た程度であり、縄文人=弥生人の社会の片隅で細々と暮らし、やがては文化的にも人種的にも倭人に吸収されていったという考古学的事実である。
この返事は前の投稿と重複しますが、以下に過去の投稿から転機させていただきます。
「弥生人=渡来人」説の大嘘
その①・・・「弥生人=渡来人」説の否定(病理学の見地から検証)
「成人T細胞白血病・ATLの患者やキャリア(東アジアでは日本人しかいない。中国・韓国には如何に調査してもまったく発見できない)の分布が九州や沖縄で圧倒的に集中していることから、ATLゼロの渡来人が北部九州に上陸し、稲作を始め、縄文人と混血し、人口が増加したのなら、その地のキャリアが真っ先に最小となるはずなのに逆に多くなっていると」言う点。
「①ATLウイルスを持たない多くの渡来人が大陸や半島から渡来したのなら、わが国で最初に水田稲作が行われた北部九州や土井ヶ浜付近からゼロになるはずである。
②だが、菜畑遺蹟のある佐賀、板付遺蹟のある福岡、土井ヶ浜のある山口県西部のあたりにキャリアが多く、対馬、隠岐の島、五島列島、長崎などはさらに高い感染率になっている。ついで多いのが近畿となっている。
③縄文人と渡来人との混血がキャリア減少の原因なら、渡来人が最初に上陸し、より早くから混血が進んだであろう、九州や近畿などの方が、関東や中部よりキャリアが少なくなって当然である。
④従って北部九州へとやって来た渡来人は少数だったし、子孫も少なかったと断ぜざるを得ない」
その②・・・縄文人と弥生人の骨格の比較から「弥生人=渡来人」とする嘘。
骨格や歯型の比較から、「弥生人=渡来人」とする説には、重大なデータの欠落がある。それは、「縄文時代の終わりから弥生時代の開始時期にかけての、最も肝要な移行期の人骨がほとんど発掘されておらず、欠落していることである」
これを分かり安く例えれば・・・江戸時代から現在の日本人へと続く、「移行期の人骨データ」が欠落しているにもかかわらず、単に江戸時代の人骨と現代の日本人の骨格を比較して、アゴや頭骨・歯型・身長がまったく違うから、現代と江戸時代では人種が違っていると言っているに等しいぐらい馬鹿げた検証と説である。
戦後から今日にかけても、短期間のうちに、欧米化した食生活で日本人の骨格は、アゴが細く面長となり、ラングイ歯が増え、身長も高くなった。千年以上も隔たりがある縄文と弥生時代ならなおさら、骨格や歯の変化は大きい。
食文化の改善から言えば、栄養価の高い米作りは、日本の方が朝鮮よりも三千年も早い。(半島の米作りは紀元前1千年頃、すなわち今から約3千年前に畑作物として、栽培され始めた。日本の陸稲は6千年前の縄文時代にまで遡る。稲作は遺伝子の研究から、日本から朝鮮半島に伝播したことが、近年明らかになっている)
「縄文時代から弥生時代にかけては、日本の歴史上最も劇的に人々の生活が変わった時期である。農耕が本格的に始まり、主食もドングリからコメへと変わった。いずれにしても、新たな人々の流入が無くても当時の顔型や体つきの変化は十分説明が付くという点で渡来説とは真っ向ぶつかるものだ」
その③・・・考古学遺蹟から見る「弥生人=渡来人」説の嘘
日本最古の水田跡がある佐賀県の「菜畑遺蹟は渡来人が最初に入植したムラではありえない。何しろ、縄文人の人たちのムラである証拠は山ほどあるが、シナ大陸から渡来人がやって来たという証拠は皆無なのだ。証拠に基づいて語れば話は逆で、縄文時代から九州の人たちは朝鮮半島南部に進出し、日本との間を行き来していた」
「北九州に成立した水田稲作文化は急激に東へ波及し(中略)。その波及には、多くの大陸伝来の要素が欠落しており、まさに縄文文化の中に稲作だけが持ち込まれた状態を示している。また、この地域では土偶・石棒のような縄文文化独特の精神的道具を保持しているのである。従って、この稲作の波及には渡来人の関与はなかったと考えるのが妥当であろう」
「北部九州から漢代の大陸系集落や土器・生活用具が出土したと言う話など聞いたことがない。つまり、大陸から渡来人がやって来たと言うのは単なる推測であり、物的証拠は相変わらずゼロである」
考古学的資料から導き出される結論は・・・渡来者の数は1年に2〜3家族ほどパラパラと来た程度であり、縄文人=弥生人の社会の片隅で細々と暮らし、やがては文化的にも人種的にも倭人に吸収されていったという考古学的事実である。
これは メッセージ 69276 (bivausyu255 さん)への返信です.