Re: 姆渡遺跡は、縄文人の居留地 ③−3
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2011/08/08 12:31 投稿番号: [69280 / 73791]
「弥生時代前期後半から北部九州において朝鮮系無紋土器(朝鮮半島で作られたと思われる土器)が、玄界灘沿岸に点在する遺蹟から出土する。ただし、その数は一遺蹟当たり多くて数個程度であり、これらは小規模な交易、土産物、偶然の漂着によってもたらされたに過ぎない」
この地域には朝鮮系無紋土器を伴う、朝鮮系と見られる諸岡タイプの遺蹟もわずかに存在するが「この朝鮮系とおぼしき集団の居住区は、弥生(倭人)集落エリアの住み心地の悪いほんの一角を占めたに過ぎず、しかも程なく消滅した」
また擬朝鮮系無紋土器(弥生土器の影響を受けて朝鮮系無紋土器から変容した土器)が出土する集落がある。しかし、「その数も10箇所程度であり、確実な出土例は現在のところ北部九州にとどまり、北部九州の弥生遺跡からすれば極わずかだった。それは渡来人集落ではなく、弥生集落の中に渡来人が居たと思われる程度だった」
これは メッセージ 69279 (kirameku9umi さん)への返信です.
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