姆渡遺跡は、縄文人の居留地 ③−1
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2011/08/05 20:06 投稿番号: [69234 / 73791]
【姆渡遺跡(長江文明)は、縄文人の居留地】
③−1
先進地日本列島の石器文化(ケツ状耳飾など)が、長江文化(河母渡遺跡)に影響を与えたか、もしくは河母渡遺跡が倭人の移住先だった可能性も否定できないという根拠。
その前にまず・・・長江文化(姆渡遺跡)とは何か、黄河文明(漢民族の文化)との関係は何か、と言うことをウィキペディアから引用しておきます。
【20世紀前半に黄河文明の仰韶文化が発見されて以来、黄河流域で多くの遺跡が見つかったことで中国の文明の発祥は黄河流域であり、その後次第に長江流域などの周辺地域に広がっていったとの見方が支配的であった。
しかし1973年・1978年の発掘調査で発見された浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)により、この説は覆される。河姆渡遺跡は紀元前6000年から紀元前5000年頃のものと推定され、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。稲作を行っていた事からその住居は高床式であった。
河姆渡遺跡は明らかに黄河文明とは系統の異なるものであり、それまでの「中国文明すなわち黄河文明」という当時の定説を大きく覆す事になった。
長江文明(漢民族とは違う異民族によるもの)・・・河姆渡文化(かぼと-ぶんか)は中華人民共和国浙江省に紀元前5000年頃-紀元前4500年頃にかけて存在した新石器時代の文化。杭州湾南岸から舟山群島にかけての地域(現在の浙江省東部、寧波市から舟山市)に広がっていた。
黄河文明(漢民族)・・・仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)は、中国の黄河中流全域に存在した新石器時代の文化である。仰韶文化の年代は紀元前5000年から紀元前3000年あたりである。】
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.
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