ミッションインポッシブル(ウリジナル版)
投稿者: rivers_of_babylon_boney_m 投稿日時: 2006/11/17 10:52 投稿番号: [6871 / 73791]
●スパイは盧武鉉の可能性【大】ですな〜!!
【コラム】「金正日リスト」が公開される日
1973年1月、米国のヘンリー・キッシンジャー大統領特別補佐官(当時)と、北ベトナムのレ・ドク・ト特使が、パリでベトナム戦争を終わらせるための和平協定に調印した。この見返りとして、キッシンジャー氏は北ベトナムに40億ドル(約4719億1998万円)の援助を与えることになり、一方で南ベトナムとは有事の際にすぐに海軍・空軍を派遣するという内容の防衛条約を結んだ。この功績でキッシンジャー氏はノーベル平和賞を受賞した。ところが2年後、南ベトナムは北ベトナム軍の全面攻撃を受け陥落した。来てくれると信じていた米軍は来てくれなかった。北ベトナムが南侵の準備をしていた間、南ベトナムは「民族・平和・和解・協力・交流」という和平協定5原則の幻想に浮かれていた。南ベトナムを幻想に陥れ、内部から崩壊させたのは、政府・大学・民間団体などに広範囲に浸透したスパイとその同調者らだった。その数は5万人に達していたという。
旧西ドイツのビリー・ブラント元首相は、西ベルリン市長時代の 1963年、東ドイツとの自由な往来を認める「通過協定」を結び、一躍有名になった。首相になってからは、1970年、東ドイツに対する包容政策の決定版といえる「東方外交政策」への転換を図った。ブラント氏はその功績で翌71年、ノーベル平和賞を受賞した。しかしその3年後、腹心が東ドイツのスパイであったことが判明し、ブラント氏は首相の座を追われることになった。ドイツ統一まで西ドイツで暗躍していた東ドイツのスパイや情報員は2万人から3万人に上ると推定されている。議員や政党指導者から、大学総長、牧師、外交官、職業軍人、科学者、ジャーナリストに至るまで、共産主義の理念に酔いしれたり、あるいは東ドイツの懐柔・脅しによって、スパイの役割を演じたのだ。東ドイツの国籍をひそかに取得した人すらいた。東方外交政策の展開とともに、社会全体が共産主義の理念に毒されていた1970年代の西ドイツは「赤い10年」と呼ばれた。
ベトナムとドイツはかつて、韓国と同じ分断国家として、激烈な体制競争を展開した。スパイの競争が繰り広げられたのも当然の流れだった。韓国はそればかりか、500万人を超す死者・行方不明者・負傷者を出す骨肉の争いまで経験した。スパイがいなかったとすれば、それはむしろ異常なことだ。イ・ジョンソク統一部長官は「同盟国の間でもスパイはいるものだ」という。北朝鮮が韓国にスパイを送り込み、協力者を求める場合、まずどこを狙ったらよいのだろうか。北朝鮮の立場を考えれば、その答えは簡単に出てくる。韓国のすべての情報が集まり、重要な政策が打ち出される大統領府こそが第1のターゲットだ。そして第2のターゲットとなるのは、法律を作る国会、武力を握っている軍、世論をリードする知識人グループやマスメディア、宣伝・扇動の術にたけた市民団体、一般大衆への影響力が強い文化人などだ。
スパイが暗躍する土壌となるのは、敵対国家に対する友好的なムードと、生ぬるいスパイ防止システムだ。旧西ドイツの「赤い10年」になぞらえれば、韓国には「主思 10年」といえる時期がある。1980年代中盤以降、学生運動家を掌握してきた「主思(主体思想)派」は、北朝鮮の援軍のようなものだ。金日成の主体思想を初めて韓国の学生運動家らに吹き込んだキム・ヨンファン氏は、その全盛期、筋金入りの主思派が1万人、同調者まで含めれば30万人いたと豪語した。現在も「親北・反米・自主」の信念を抱く主思派が、韓国社会にどれほど多く浸透しているのか、知りようがない。主思派の中心人物だったカン・ギルモ氏は「わたしから主思派教育を受けた学生運動出身者らが、盧武鉉政権内にかなりいる」とし、与党ヨルリン・ウリ党の議員3人、前職・現職の大統領府幹部4人の実名を挙げた。現在のところ、名前が挙がった人の中で「わたしは主思派ではない」と言った人は一人もいない。
(以下省略・・・入らない)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/17/20061117000027.html
【コラム】「金正日リスト」が公開される日
1973年1月、米国のヘンリー・キッシンジャー大統領特別補佐官(当時)と、北ベトナムのレ・ドク・ト特使が、パリでベトナム戦争を終わらせるための和平協定に調印した。この見返りとして、キッシンジャー氏は北ベトナムに40億ドル(約4719億1998万円)の援助を与えることになり、一方で南ベトナムとは有事の際にすぐに海軍・空軍を派遣するという内容の防衛条約を結んだ。この功績でキッシンジャー氏はノーベル平和賞を受賞した。ところが2年後、南ベトナムは北ベトナム軍の全面攻撃を受け陥落した。来てくれると信じていた米軍は来てくれなかった。北ベトナムが南侵の準備をしていた間、南ベトナムは「民族・平和・和解・協力・交流」という和平協定5原則の幻想に浮かれていた。南ベトナムを幻想に陥れ、内部から崩壊させたのは、政府・大学・民間団体などに広範囲に浸透したスパイとその同調者らだった。その数は5万人に達していたという。
旧西ドイツのビリー・ブラント元首相は、西ベルリン市長時代の 1963年、東ドイツとの自由な往来を認める「通過協定」を結び、一躍有名になった。首相になってからは、1970年、東ドイツに対する包容政策の決定版といえる「東方外交政策」への転換を図った。ブラント氏はその功績で翌71年、ノーベル平和賞を受賞した。しかしその3年後、腹心が東ドイツのスパイであったことが判明し、ブラント氏は首相の座を追われることになった。ドイツ統一まで西ドイツで暗躍していた東ドイツのスパイや情報員は2万人から3万人に上ると推定されている。議員や政党指導者から、大学総長、牧師、外交官、職業軍人、科学者、ジャーナリストに至るまで、共産主義の理念に酔いしれたり、あるいは東ドイツの懐柔・脅しによって、スパイの役割を演じたのだ。東ドイツの国籍をひそかに取得した人すらいた。東方外交政策の展開とともに、社会全体が共産主義の理念に毒されていた1970年代の西ドイツは「赤い10年」と呼ばれた。
ベトナムとドイツはかつて、韓国と同じ分断国家として、激烈な体制競争を展開した。スパイの競争が繰り広げられたのも当然の流れだった。韓国はそればかりか、500万人を超す死者・行方不明者・負傷者を出す骨肉の争いまで経験した。スパイがいなかったとすれば、それはむしろ異常なことだ。イ・ジョンソク統一部長官は「同盟国の間でもスパイはいるものだ」という。北朝鮮が韓国にスパイを送り込み、協力者を求める場合、まずどこを狙ったらよいのだろうか。北朝鮮の立場を考えれば、その答えは簡単に出てくる。韓国のすべての情報が集まり、重要な政策が打ち出される大統領府こそが第1のターゲットだ。そして第2のターゲットとなるのは、法律を作る国会、武力を握っている軍、世論をリードする知識人グループやマスメディア、宣伝・扇動の術にたけた市民団体、一般大衆への影響力が強い文化人などだ。
スパイが暗躍する土壌となるのは、敵対国家に対する友好的なムードと、生ぬるいスパイ防止システムだ。旧西ドイツの「赤い10年」になぞらえれば、韓国には「主思 10年」といえる時期がある。1980年代中盤以降、学生運動家を掌握してきた「主思(主体思想)派」は、北朝鮮の援軍のようなものだ。金日成の主体思想を初めて韓国の学生運動家らに吹き込んだキム・ヨンファン氏は、その全盛期、筋金入りの主思派が1万人、同調者まで含めれば30万人いたと豪語した。現在も「親北・反米・自主」の信念を抱く主思派が、韓国社会にどれほど多く浸透しているのか、知りようがない。主思派の中心人物だったカン・ギルモ氏は「わたしから主思派教育を受けた学生運動出身者らが、盧武鉉政権内にかなりいる」とし、与党ヨルリン・ウリ党の議員3人、前職・現職の大統領府幹部4人の実名を挙げた。現在のところ、名前が挙がった人の中で「わたしは主思派ではない」と言った人は一人もいない。
(以下省略・・・入らない)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/17/20061117000027.html
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.