Re: 沖縄集団自決の真実 富村順一
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2011/05/05 20:00 投稿番号: [68208 / 73791]
沖縄集団自決の真実
「沖縄人の見た沖縄戦」③
――「嘘を云ったお祖父(じい)やお祖母(ばあ)は沢山いる――
ルポライター(沖縄県国頭郡出身)
冨村順一(大阪市西成区78歳)
平成20年3月10日
昭和史研究所会報
第131号
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残されたわずかな時間の中で歴史の証言を収集記録し、後世に伝えます。
これは本来国家のなすべき事業なのです。
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刑務所暴動の後本土へ
私は昭和30年の3月に、沖縄からくり舟を漕いで一人で日本にやって
来ました。それは、刑務所で暴動を起こして逃げて来たのです。
米軍が上陸して最初に作ったのが刑務所なんです。
戦争で親兄弟を失った少年少女が沢山いましたが、皆米軍キャンプへ行き、
盗み食いをしていましたが、少年刑務所という風な区別はなく、
少年も大人も全員一緒でした。
だが刑務所の看守も今のように試験制ではなく、村のあんちゃん達が
刑務所の看守をやつたために、囚人に充てるべき米を全部猫ばばして
持って帰り、飢えた状態であったのです。
また他の様々の原因があり暴動が起こりましたが、
その時に暴動が起こったのが昭和29年の11月7日です。
11月7日と云えばロシア革命記念日です。
当時那覇市長だった瀬長亀次郎。
当時の人民党の委員長である瀬長亀次郎は刑務所に入っていましたが、
私の向かいの独房にいました。
毎日不平不満を私が職員に云い、抗議をするので、瀬長さんは私が勉強して
その上で刑務所の職員に抗議するのだと勘違いしたようです。
瀬長さんに唆されて私は刑務所の囚人を駆り立てて暴動を起こしましたが、
実はその張本人も本来ならば瀬長亀次郎ですが、彼はその責任を全部
私達に負わせ、自分は法の網をくぐった訳です。
それ以来私は人を信用しなくなりました。
そして私は本土に逃げて時効になり、日本全国を渡り歩きました。今は
このような生活をしてますが、本土に来てから様々な事件を起こしました。
先ず東京タワー事件。
大阪西成区の暴動事件。また大阪難波の千日前の交番焼打ち事件を起こして
ますが、その時は若く体力もあったので出来ましたが、今はその力もない、
何一つ抗議することも出来ない。もし私が若くて体力があれば、
朝日新聞などは私に何らかの方法で仕返しされたと思います。
私は色々な問題で朝日新聞に抗議したことがありますが、朝日新聞は何一つ
解決方法はなく、自分達が捏造した沖縄戦記を書いても全く反省の色がありません。
つづく
これは メッセージ 68202 (yume_sarasa1211 さん)への返信です.
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