中共の対日文化工作・・・④
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2011/02/27 15:00 投稿番号: [67180 / 73791]
傍証①・・・【村民3分の2に白人遺伝子
古代ローマ帝国軍の末裔か=甘粛省】
中国甘粛省驪?(れいけん)村の村民は背が高く彫りの深い顔立ちで、青い目に茶色の髪の毛をしている。それだけではない。このほど、同村の村民のDNA鑑定を行ったところ、約3分の2の村民が白人遺伝子を持っていることが判明した。11月26日付の英紙デイリー・メールが伝えた。
DNA鑑定を主催したのは、先月6日、地元の蘭州大学とイタリアが共同で発足した「蘭州大学イタリア文学研究センター」。同センターは甘粛省驪?村の村民が2千年前のローマ帝国軍の末裔かどうかについての研究を進めている。
「末裔説」を最初に提唱したのはオックスフォード大学の中国歴史専門家ホーマー・H・ダブス教授。紀元前53年、ローマ軍はパルティア軍とぶつかったカルラエの戦いに敗れ、第一軍隊がローマに戻らず神秘的に失踪したと伝えられている。ダブス教授は、失踪したローマ軍は東へ進む際に匈奴に捕まり、紀元前36年に驪?村に定住したとの説を50年代に発表したが、注目されなかった。2006年に中国で報道されたことで「末裔説」がやっと脚光を浴びることになった。
「末裔説」を支える根拠に、驪?村の近くで発掘された永昌西漢墓が挙げられる。ダブス教授は、ここの被葬者は体格が大きく、眉骨が突出し、あごが四角いという特徴を持っていることから、ローマ帝国の兵隊の墓だと推測した。また、今回のDNA鑑定の結果は「末裔説」を証明するさらなる根拠になると期待が高まっている。「驪?」という村の名前自身も古代中国人がローマ人を呼ぶ言葉である。
一方、今回の鑑定で明らかになった白人遺伝子は古代ローマ軍が残したものか、それとも、中国とローマを結ぶシルクロードを往来する人々が残したものかを判別することは難しいとの見解を示す専門家もいる。
傍証②・・・【中国最古のミイラ 東西の混血と判明】
このほど、吉林省大学の科学者が、現存する中国最古のミイラのDNA研究を通して、東洋人と西洋人は、4千年前かあるいはもっと早くから血縁融合していたことを発見した。新疆ウイグル自治区小河墓地のミイラは混血であると判明。
この結論は吉林大学遍彊考古研究センター古DNA実験室責任者、生命科学学院の周慧教授と研究チームによるものである。
英生物学専門誌『BMCバイオロジー』に掲載された、吉林大学、新疆考古学研究所、復旦大学、米ペンシルバニア州州立大学科学者らが共同発表した研究結果によると、新疆小河墓地のミイラは混血であり、欧州とシベリアの遺伝標記を持っている。
スウェーデンの考古学者が1934年に、新疆のタリム盆地付近の枯れた川底で墓地を発見した。その後、墓地は66年間消失し、2000年、中国の探検隊により再び発見された。
考古学認定により、この墓地は上下合わせて5層の167の墓群からなっていることが明らかとなり、中からは大量のミイラ、動物の死骸、植物の遺物や副葬品が発見された。この墓の主はおよそ3千5百年から4千年前に死亡しており、現在発見されている墓としては最も古く、もっとも保存状態が良い。
吉林大学の科学者は05年からこの墓地のミイラの遺伝子分析を開始し、4年以上の研究を経て20のDNAサンプルを摂り出すことに成功した。研究員らはミイラ達の大部分がアジア人群と西欧人群のDNAの特徴を備えていることを発見しており、アジア人群は主に中国北方やバイカル湖地区からのもの、西欧人群は欧州からのものであるという。
周教授は、「新疆の古人類群は東洋・西洋人群の混合体である。このことは4千年前の文字による記載がない頃、東洋・西洋人の間ではすでに行き来や雑居が始まっており、血縁も結ばれていた事を物語っている」と、この地区のミイラのDNAには、すでに西洋遺伝子の特徴と東洋遺伝子の特徴が存在していることを解説する。 新疆地区は世界人群移動の歴史上で、最後の到達地点の一つに挙げられる。周教授は小河の早期人群は、南シベリア青銅期の人群と密接な関係があると推測している。混合の最初の発生地はおそらく南西シベリアのある地区であり、「西へ移動するアジア人と東へ移動する欧州人が出合い、彼らの間で婚姻の習慣が発生した。」
過去、多くの人が新疆早期の住民は主に欧州人であるという認識を持っていた。また、今から2千年前、前漢の張騫が使節として西域に赴き東方と西方の文化交流が始まったという説も、世界的に認められている。
中国甘粛省驪?(れいけん)村の村民は背が高く彫りの深い顔立ちで、青い目に茶色の髪の毛をしている。それだけではない。このほど、同村の村民のDNA鑑定を行ったところ、約3分の2の村民が白人遺伝子を持っていることが判明した。11月26日付の英紙デイリー・メールが伝えた。
DNA鑑定を主催したのは、先月6日、地元の蘭州大学とイタリアが共同で発足した「蘭州大学イタリア文学研究センター」。同センターは甘粛省驪?村の村民が2千年前のローマ帝国軍の末裔かどうかについての研究を進めている。
「末裔説」を最初に提唱したのはオックスフォード大学の中国歴史専門家ホーマー・H・ダブス教授。紀元前53年、ローマ軍はパルティア軍とぶつかったカルラエの戦いに敗れ、第一軍隊がローマに戻らず神秘的に失踪したと伝えられている。ダブス教授は、失踪したローマ軍は東へ進む際に匈奴に捕まり、紀元前36年に驪?村に定住したとの説を50年代に発表したが、注目されなかった。2006年に中国で報道されたことで「末裔説」がやっと脚光を浴びることになった。
「末裔説」を支える根拠に、驪?村の近くで発掘された永昌西漢墓が挙げられる。ダブス教授は、ここの被葬者は体格が大きく、眉骨が突出し、あごが四角いという特徴を持っていることから、ローマ帝国の兵隊の墓だと推測した。また、今回のDNA鑑定の結果は「末裔説」を証明するさらなる根拠になると期待が高まっている。「驪?」という村の名前自身も古代中国人がローマ人を呼ぶ言葉である。
一方、今回の鑑定で明らかになった白人遺伝子は古代ローマ軍が残したものか、それとも、中国とローマを結ぶシルクロードを往来する人々が残したものかを判別することは難しいとの見解を示す専門家もいる。
傍証②・・・【中国最古のミイラ 東西の混血と判明】
このほど、吉林省大学の科学者が、現存する中国最古のミイラのDNA研究を通して、東洋人と西洋人は、4千年前かあるいはもっと早くから血縁融合していたことを発見した。新疆ウイグル自治区小河墓地のミイラは混血であると判明。
この結論は吉林大学遍彊考古研究センター古DNA実験室責任者、生命科学学院の周慧教授と研究チームによるものである。
英生物学専門誌『BMCバイオロジー』に掲載された、吉林大学、新疆考古学研究所、復旦大学、米ペンシルバニア州州立大学科学者らが共同発表した研究結果によると、新疆小河墓地のミイラは混血であり、欧州とシベリアの遺伝標記を持っている。
スウェーデンの考古学者が1934年に、新疆のタリム盆地付近の枯れた川底で墓地を発見した。その後、墓地は66年間消失し、2000年、中国の探検隊により再び発見された。
考古学認定により、この墓地は上下合わせて5層の167の墓群からなっていることが明らかとなり、中からは大量のミイラ、動物の死骸、植物の遺物や副葬品が発見された。この墓の主はおよそ3千5百年から4千年前に死亡しており、現在発見されている墓としては最も古く、もっとも保存状態が良い。
吉林大学の科学者は05年からこの墓地のミイラの遺伝子分析を開始し、4年以上の研究を経て20のDNAサンプルを摂り出すことに成功した。研究員らはミイラ達の大部分がアジア人群と西欧人群のDNAの特徴を備えていることを発見しており、アジア人群は主に中国北方やバイカル湖地区からのもの、西欧人群は欧州からのものであるという。
周教授は、「新疆の古人類群は東洋・西洋人群の混合体である。このことは4千年前の文字による記載がない頃、東洋・西洋人の間ではすでに行き来や雑居が始まっており、血縁も結ばれていた事を物語っている」と、この地区のミイラのDNAには、すでに西洋遺伝子の特徴と東洋遺伝子の特徴が存在していることを解説する。 新疆地区は世界人群移動の歴史上で、最後の到達地点の一つに挙げられる。周教授は小河の早期人群は、南シベリア青銅期の人群と密接な関係があると推測している。混合の最初の発生地はおそらく南西シベリアのある地区であり、「西へ移動するアジア人と東へ移動する欧州人が出合い、彼らの間で婚姻の習慣が発生した。」
過去、多くの人が新疆早期の住民は主に欧州人であるという認識を持っていた。また、今から2千年前、前漢の張騫が使節として西域に赴き東方と西方の文化交流が始まったという説も、世界的に認められている。
これは メッセージ 67179 (kirameku9umi さん)への返信です.