歴史の事実を追及しない不幸★渡部昇一
投稿者: yume_sarasa1211 投稿日時: 2010/10/27 22:06 投稿番号: [65567 / 73791]
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歴史の事実を追及しない不幸
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安重根。明治41(1909)年10月26日、初代韓国総監で当時は枢密院議長だった
博文をハルピン駅頭で暗殺した犯人、というのが通説である。
この安重根はいまでは反日殉国のシンボル、民族の誇りということで、コリア
では北でも南でもこのテロリストを義士(英雄)として最大級の賞賛を浴びている。
ところが、安重根は伊藤博文暗殺の直接の犯人ではない可能性が強いのだ。
いささか遅出しになってしまったが、ジャーナリストの若狭和朋氏が
月刊誌『歴史通』7月号で詳細にレポートしている。
安重根は事件直後に現場で取り押さえられた。
彼はブローニング拳銃を所持し、銃弾を6発装填、うち5発が発射されていた。
しかもその銃弾には特徴があって、殺傷力を強めるため断頭に十字の刻みが
入れてあったことが分っている。
事件の事実関係は詳細に記録されている。
それによると、伊藤博文以外にも随員など5名が被弾負傷していて、それらの
被弾数は合計13発。つまり、安重根以外にも複数の犯人がいたのである。
しかも、伊藤博文の命を奪ったのは3発で、いずれもブローニング拳銃の銃弾ではない。
フランス騎兵銃の銃弾なのである。
そして、それらの銃弾はいずれも肩や腕の上半身から入り、
胸や臍下の下半身に留まっている。
その弾道をたどると、上方から狙撃されたことは疑えない。
安重根は伊藤博文と同じ高さの地面にいたから、上方から撃つことは不可能だ。
事実、この事件で負傷した随員の一人は、
駅舎2階の食堂の窓から撃たれたことを証言している。
だが、フランス騎兵銃を撃ったのは誰か、ほかにどれだけの犯人がいたのか、
その背景は何か、などは追及されることなく、
犯人は安重根一人と決めつけられることになった。なぜか。
それには当時の複雑な国際情勢が関わっていたと思われる。
当時、現地のハルピンは清国の領土である。
だが、支配しているのはロシアである。
アメリカもこの地の利権を虎視眈々と狙っていた。
そして、事件の犯人は朝鮮人、被害者は日本人である。
紛争の火種を抱えているようなもので、裁判管轄権をどこが持つかでも
揉めるには十分である。
だが、ロシアも清国もあっさり裁判管轄権を放棄し、
本来は裁判管轄権を持たない日本に任されることになった。
安重根は日本の旅順刑務所に拘置され、これも日本の関東都督府地方法務院で
裁かれ、死刑になった。このことにどこの国からも文句は出なかった。
アメリカをはじめとする欧米列強も口を出すことはなかった。
この事件が火種となって大紛争になるのを恐れ、関わりを避けたのだと思われる。
つづく
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