「弥生人=渡来人」説の大嘘
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2010/07/31 12:21 投稿番号: [64723 / 73791]
「弥生人=渡来人」説の大嘘
以下・・・「日本人のルーツの謎を解く」展転社・長浜浩明著を引用しつつ、「渡来人の大移住」「弥生人=渡来人」説の嘘を検証していきます。
その①・・・「弥生人=渡来人」説の否定(病理学の見地から検証)
「成人T細胞白血病・ATLの患者やキャリア(東アジアでは日本人しかいない。中国・韓国には如何に調査してもまったく発見できない)の分布が九州や沖縄で圧倒的に集中していることから、ATLゼロの渡来人が北部九州に上陸し、稲作を始め、縄文人と混血し、人口が増加したのなら、その地のキャリアが真っ先に最小となるはずなのに逆に多くなっていると」言う点。
「①ATLウイルスを持たない多くの渡来人が大陸や半島から渡来したのなら、わが国で最初に水田稲作が行われた北部九州や土井ヶ浜付近からゼロになるはずである。
②だが、菜畑遺蹟のある佐賀、板付遺蹟のある福岡、土井ヶ浜のある山口県西部のあたりにキャリアが多く、対馬、隠岐の島、五島列島、長崎などはさらに高い感染率になっている。ついで多いのが近畿となっている。
③縄文人と渡来人との混血がキャリア減少の原因なら、渡来人が最初に上陸し、より早くから混血が進んだであろう、九州や近畿などの方が、関東や中部よりキャリアが少なくなって当然である。
④従って北部九州へとやって来た渡来人は少数だったし、子孫も少なかったと断ぜざるを得ない」
その②・・・縄文人と弥生人の骨格の比較から「弥生人=渡来人」とする嘘。
骨格や歯型の比較から、「弥生人=渡来人」とする説には、重大なデータの欠落がある。それは、「縄文時代の終わりから弥生時代の開始時期にかけての、最も肝要な移行期の人骨がほとんど発掘されておらず、欠落していることである」
これを分かり安く例えれば・・・江戸時代から現在の日本人へと続く、「移行期の人骨データ」が欠落しているにもかかわらず、単に江戸時代の人骨と現代の日本人の骨格を比較して、アゴや頭骨・歯型・身長がまったく違うから、現代と江戸時代では人種が違っていると言っているに等しいぐらい馬鹿げた検証と説である。
戦後から今日にかけても、短期間のうちに、欧米化した食生活で日本人の骨格は、アゴが細く面長となり、ラングイ歯が増え、身長も高くなった。千年以上も隔たりがある縄文と弥生時代ならなおさら、骨格や歯の変化は大きい。
食文化の改善から言えば、栄養価の高い米作りは、日本の方が朝鮮よりも三千年も早い。(半島の米作りは紀元前1千年頃、すなわち今から約3千年前に畑作物として、栽培され始めた。日本の陸稲は6千年前の縄文時代にまで遡る。稲作は遺伝子の研究から、日本から朝鮮半島に伝播したことが、近年明らかになっている)
「縄文時代から弥生時代にかけては、日本の歴史上最も劇的に人々の生活が変わった時期である。農耕が本格的に始まり、主食もドングリからコメへと変わった。いずれにしても、新たな人々の流入が無くても当時の顔型や体つきの変化は十分説明が付くという点で渡来説とは真っ向ぶつかるものだ」
縄文人の食文化を補足すれば・・・縄文人は現代人が考えている程、狩猟に頼り原始的な貧しい暮らしをしていたわけではない。むしろ世界四大文明よりも、海の幸山の幸や農作物に恵まれ、縄文土器に代表されるように文化的にも、豊かな生活を送っていた。
菜畑遺蹟では「コメ以外にも、アワ、ソバ、大豆、などの穀物類に加えて、メロン、ゴボウ、栗、桃などの果実・根菜類も栽培していたことが判明した。中でもメロンが縄文後期に栽培されていたことは大きな驚きだった。さらに平成元年の発掘で儀式に用いたと思われる形のままの数頭のブタの骨が出土し、ブタが家畜化されていたことを裏づけた」 尚、この遺蹟からは石包丁、クワ、カマ、などの農機具、甕、壺、スプーン、フォーク、などの食器類などなどが出土している」
朝鮮人は、スプーンの作り方を日本人に教えてやったと自慢するが、「朝鮮なる国が体を成してしない3千年以前から、当時の人々はスプーンを使っていた」これはスプーンに限らず、漢字や鉄器などにも言えることだろう。
以下・・・「日本人のルーツの謎を解く」展転社・長浜浩明著を引用しつつ、「渡来人の大移住」「弥生人=渡来人」説の嘘を検証していきます。
その①・・・「弥生人=渡来人」説の否定(病理学の見地から検証)
「成人T細胞白血病・ATLの患者やキャリア(東アジアでは日本人しかいない。中国・韓国には如何に調査してもまったく発見できない)の分布が九州や沖縄で圧倒的に集中していることから、ATLゼロの渡来人が北部九州に上陸し、稲作を始め、縄文人と混血し、人口が増加したのなら、その地のキャリアが真っ先に最小となるはずなのに逆に多くなっていると」言う点。
「①ATLウイルスを持たない多くの渡来人が大陸や半島から渡来したのなら、わが国で最初に水田稲作が行われた北部九州や土井ヶ浜付近からゼロになるはずである。
②だが、菜畑遺蹟のある佐賀、板付遺蹟のある福岡、土井ヶ浜のある山口県西部のあたりにキャリアが多く、対馬、隠岐の島、五島列島、長崎などはさらに高い感染率になっている。ついで多いのが近畿となっている。
③縄文人と渡来人との混血がキャリア減少の原因なら、渡来人が最初に上陸し、より早くから混血が進んだであろう、九州や近畿などの方が、関東や中部よりキャリアが少なくなって当然である。
④従って北部九州へとやって来た渡来人は少数だったし、子孫も少なかったと断ぜざるを得ない」
その②・・・縄文人と弥生人の骨格の比較から「弥生人=渡来人」とする嘘。
骨格や歯型の比較から、「弥生人=渡来人」とする説には、重大なデータの欠落がある。それは、「縄文時代の終わりから弥生時代の開始時期にかけての、最も肝要な移行期の人骨がほとんど発掘されておらず、欠落していることである」
これを分かり安く例えれば・・・江戸時代から現在の日本人へと続く、「移行期の人骨データ」が欠落しているにもかかわらず、単に江戸時代の人骨と現代の日本人の骨格を比較して、アゴや頭骨・歯型・身長がまったく違うから、現代と江戸時代では人種が違っていると言っているに等しいぐらい馬鹿げた検証と説である。
戦後から今日にかけても、短期間のうちに、欧米化した食生活で日本人の骨格は、アゴが細く面長となり、ラングイ歯が増え、身長も高くなった。千年以上も隔たりがある縄文と弥生時代ならなおさら、骨格や歯の変化は大きい。
食文化の改善から言えば、栄養価の高い米作りは、日本の方が朝鮮よりも三千年も早い。(半島の米作りは紀元前1千年頃、すなわち今から約3千年前に畑作物として、栽培され始めた。日本の陸稲は6千年前の縄文時代にまで遡る。稲作は遺伝子の研究から、日本から朝鮮半島に伝播したことが、近年明らかになっている)
「縄文時代から弥生時代にかけては、日本の歴史上最も劇的に人々の生活が変わった時期である。農耕が本格的に始まり、主食もドングリからコメへと変わった。いずれにしても、新たな人々の流入が無くても当時の顔型や体つきの変化は十分説明が付くという点で渡来説とは真っ向ぶつかるものだ」
縄文人の食文化を補足すれば・・・縄文人は現代人が考えている程、狩猟に頼り原始的な貧しい暮らしをしていたわけではない。むしろ世界四大文明よりも、海の幸山の幸や農作物に恵まれ、縄文土器に代表されるように文化的にも、豊かな生活を送っていた。
菜畑遺蹟では「コメ以外にも、アワ、ソバ、大豆、などの穀物類に加えて、メロン、ゴボウ、栗、桃などの果実・根菜類も栽培していたことが判明した。中でもメロンが縄文後期に栽培されていたことは大きな驚きだった。さらに平成元年の発掘で儀式に用いたと思われる形のままの数頭のブタの骨が出土し、ブタが家畜化されていたことを裏づけた」 尚、この遺蹟からは石包丁、クワ、カマ、などの農機具、甕、壺、スプーン、フォーク、などの食器類などなどが出土している」
朝鮮人は、スプーンの作り方を日本人に教えてやったと自慢するが、「朝鮮なる国が体を成してしない3千年以前から、当時の人々はスプーンを使っていた」これはスプーンに限らず、漢字や鉄器などにも言えることだろう。
これは メッセージ 64718 (kirameku9umi さん)への返信です.