朝鮮半島に移民した縄文人の子孫は・・・
投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2010/07/31 10:57 投稿番号: [64718 / 73791]
縄文時代に、地理的・人種的・文化的・言語的に倭人としてのアイデンティティーを確立し、大陸から独立した文化を形成した縄文人。
その縄文人が朝鮮半島に移民し、倭人文化を【伝えて上げて】百済や新羅の文化の礎を【築き上げてやったが】、ハワイや南米と違い、朝鮮原住民と混血したら、ひどい劣化が起きたようだ(笑)。
◆朝鮮半島には縄文人の遺跡があった
http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi202.html
日本各地から出土する遺物は、太平洋諸島や沖縄列島、日本列島周辺で活躍する海洋民族の存在を示し、それが1万数千年ともいわれる縄文文化の一翼を担ってきた。
そして近年、朝鮮半島において縄文人による遺跡が相次いで発見され、縄文人の行動範囲は朝鮮半島にまで及んでいたことが明らかになった。
「実は3000年前頃から縄文人たちは、九州あたりを出て朝鮮半島南部までの海を越えていたことが分かってきた。(中略)対馬からほど近いこの慶尚南道や釜山広域市で、最近相次いで日本列島から縄文時代の人々が渡っていたことを示す痕跡が見つかっている。
東三洞貝塚では大量の縄文土器と九州産の黒曜石が出土した。朝鮮半島には独自の土器があり、そこで出土する縄文土器は縄文人がやってきた確かな証拠品といえる。朝鮮半島では銛や鏃といった漁労具や狩猟具に最適な黒曜石が産出されない。このため半島で特に貴重であった黒曜石を携え、縄文人たちは交易にやってきたのではないかと考えられている」(前掲書 93頁)
この時代、縄文人は朝鮮半島に進出していた。半島南部に多くの縄文遺跡があるのは、世界最古の土器を造った縄文人がここに住んでいたことを意味する。今から3000年前、そこへ縄文文化が伝えられていたのだ。
この本では「縄文人たちは交易にやってきたのではないか」と記し、小見出しは【縄文人の朝鮮半島出張】であったが、あの重い縄文土器を大量に丸木船に乗せ、朝鮮半島に向けて渡航するとは考えられない。
朝鮮半島南部で縄文人が生活し、文化を伝え、土器を作っていたからこそ大量であり、生活していたからこそ貝塚から発見されたのであろう。
その後の研究、『発掘された日本列島2007』(文化庁編 朝日新聞社)は次のように記していた。
「東三洞の貝塚から出土した九州の縄文土器をよく見ると、形や文様が九州本土から出土する縄文土器と微妙に異なることが分かってきました。 おそらく九州から渡っていった縄文人が、その周辺で長期滞在して記憶が薄れたか、2世が土器を造ったために、九州にない九州の縄文土器になったのでしょう」
朝鮮半島南部には、縄文文化の影響を受けていた地域が存在することは確実である。そこからは日本の弥生土器も発掘されている。つまり縄文・弥生時代、半島から日本が恩恵を被るばかりではなく、ヒトもモノも日本から半島に流れていたということがいえるのである。
その縄文人が朝鮮半島に移民し、倭人文化を【伝えて上げて】百済や新羅の文化の礎を【築き上げてやったが】、ハワイや南米と違い、朝鮮原住民と混血したら、ひどい劣化が起きたようだ(笑)。
◆朝鮮半島には縄文人の遺跡があった
http://www.jiyuushikan.org/rekishi/rekishi202.html
日本各地から出土する遺物は、太平洋諸島や沖縄列島、日本列島周辺で活躍する海洋民族の存在を示し、それが1万数千年ともいわれる縄文文化の一翼を担ってきた。
そして近年、朝鮮半島において縄文人による遺跡が相次いで発見され、縄文人の行動範囲は朝鮮半島にまで及んでいたことが明らかになった。
「実は3000年前頃から縄文人たちは、九州あたりを出て朝鮮半島南部までの海を越えていたことが分かってきた。(中略)対馬からほど近いこの慶尚南道や釜山広域市で、最近相次いで日本列島から縄文時代の人々が渡っていたことを示す痕跡が見つかっている。
東三洞貝塚では大量の縄文土器と九州産の黒曜石が出土した。朝鮮半島には独自の土器があり、そこで出土する縄文土器は縄文人がやってきた確かな証拠品といえる。朝鮮半島では銛や鏃といった漁労具や狩猟具に最適な黒曜石が産出されない。このため半島で特に貴重であった黒曜石を携え、縄文人たちは交易にやってきたのではないかと考えられている」(前掲書 93頁)
この時代、縄文人は朝鮮半島に進出していた。半島南部に多くの縄文遺跡があるのは、世界最古の土器を造った縄文人がここに住んでいたことを意味する。今から3000年前、そこへ縄文文化が伝えられていたのだ。
この本では「縄文人たちは交易にやってきたのではないか」と記し、小見出しは【縄文人の朝鮮半島出張】であったが、あの重い縄文土器を大量に丸木船に乗せ、朝鮮半島に向けて渡航するとは考えられない。
朝鮮半島南部で縄文人が生活し、文化を伝え、土器を作っていたからこそ大量であり、生活していたからこそ貝塚から発見されたのであろう。
その後の研究、『発掘された日本列島2007』(文化庁編 朝日新聞社)は次のように記していた。
「東三洞の貝塚から出土した九州の縄文土器をよく見ると、形や文様が九州本土から出土する縄文土器と微妙に異なることが分かってきました。 おそらく九州から渡っていった縄文人が、その周辺で長期滞在して記憶が薄れたか、2世が土器を造ったために、九州にない九州の縄文土器になったのでしょう」
朝鮮半島南部には、縄文文化の影響を受けていた地域が存在することは確実である。そこからは日本の弥生土器も発掘されている。つまり縄文・弥生時代、半島から日本が恩恵を被るばかりではなく、ヒトもモノも日本から半島に流れていたということがいえるのである。
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.