Re: はたして百済から文化が伝わったのか?
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2010/02/16 19:54 投稿番号: [62848 / 73791]
前回俺が投稿した内容に若干補足する。
俺の引用した文章は『三國志』魏書第三十烏丸鮮卑東夷傳の馬韓に関する記述。
現在のトンスラーの先祖は馬韓=百済人とはえんもゆかりもない野蛮人エベンキ族と判明している。
前回は原文の内容を少し、はしょったので俺の翻訳ではない文で解説する。
其俗少綱紀、國邑雖有主帥、邑落雜居、不能善相制御。無跪拜之禮。居處作草屋土室、形如冢。其戸在上舉家共在中、無長幼男女之別。
その習俗には綱紀が少なく、国邑に主帥(主君)がいるけれど、邑落で雑居し、善く互いを制御することができない。跪拜の礼はない。住居は草屋根に土の室とし、形は家の如し。その扉は上部にあり、家族全員で共に暮らし、長幼男女の別はない。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-mokuji.htm恐るべきことにトンスル半島で日本人は1500年以上経って同じ光景をみることになる。
一般民家
その家屋は石と泥をもって築立し、稲藁を葺いて屋根としている。茅は焚き火の用に使うという。窓が小さく、大人が家に入って立つことが出来ないようだ。たいていの家に「床」というものが無く、土の上に藁むしろを敷いて座す。その狭さ不潔さといい殆ど穴居の類である。
そういう家が表裏の別なく密集し、路地には乱石が磊落して、ほとんど足をいれることが出来ない。村の中央の家に行こうとするには、どの路地をどう曲がっていけばよいのか分からないぐらいである。
寝起きするのも容易でないような家の中にはわずかに1、2の炊具を見る。
ただ、日本人の眼に入るのは、貧家に不釣合いなほど大きな黒色の磁器甕がどこの家にもあるということである。これは木の樽が無いゆえの水を溜める甕であろう。質は頗る堅牢である。
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/index.htm魏志の記録と全く同じではないか。
100年前のトンスラーは木を曲げる技術が存在せず、従って土の甕。
こんな状況で、どうやって朝鮮通信士が何の文化を伝えたんだろうか?
古代よりトンスル半島は文化・文明と無縁の土地だ。
これは メッセージ 62766 (pokosi2000 さん)への返信です.
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