頭も屁も臭いpokosi2000(猛爆)
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/12/09 20:50 投稿番号: [61624 / 73791]
どう足掻いても、反論できないぞ!(猛爆)
『新唐書』日本伝
欽明之十一年、直梁承聖元年。次海達。次用明、亦曰目多利思比孤、直隋開皇末、始與中國通。次崇峻。崇峻死、欽明之孫女雄古立。次舒明、次皇極。
其俗椎髻、無冠帶、跣以行、幅巾蔽後、貴者冒錦;婦人衣純色裙、長腰襦、結髮于後。至煬帝、賜其民錦線冠、飾以金玉、文布為衣、左右佩銀蘤、長八寸、以多少明貴賤。
欽明の十一年は、梁の承聖元年(552年)に当たる。次は海達。次は用明、また目多利思比孤といい、隋の開皇末に、初めて中国と通じた。次は崇峻。崇峻か死ぬと、欽明の孫娘の雄古(推古)が立った。次は舒明、次は皇極。
その俗は椎髻(不明)し、冠帯はなく、裸足で歩き、幅広の巾で後を隠し、貴者は錦の帽子、婦人の衣は純色(鮮明な色)の裙(もすそ)、長い腰襦袢で、髮を後に結う。
煬帝に至り、その民に錦線冠を賜り、金玉で飾り、文様入りの布を衣と為し、左右に銀蘤を佩びる、長さ八寸、多少は貴賎が明確となる。
「隋の開皇末に、初めて中国と通じた。」
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とあるから、開皇が581〜600年という事で、598年前後位に初めて中国に朝貢したということだな。
という事で、日本書紀に書かれていない、卑弥呼、倭の五王は、日本の歴史とは関係ないと言う事が証明されたな。
咸亨元年、遣使賀平高麗。後稍習夏音、惡倭名、更號日本。使者自言、國近日所出、以為名。或云日本乃小國、為倭所并、故冒其號。使者不以情、故疑焉。又妄夸其國都方數千里、南、西盡海、東、北限大山、其外即毛人云。
咸亨元年(670年)、遣使が高麗平定を祝賀。後にやや夏音(漢語)を習得し、倭名を憎み、日本と改号した。使者が自ら言うには、国は日の出ずる所に近いので、国名と為した。あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。使者には情実がない故にこれを疑う。またその国都は四方数千里だと妄りに誇る、南と西は海に尽き、東と北は大山が限界となり、その外は、すなわち毛人という。
「日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。」
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遣唐使は上表で「日本は小国で倭に(朝鮮半島の)併合された」とも言っている。(猛爆)
「日本書紀』と「朝鮮・中国史料」の比較
ttp://www.k4.dion.ne.jp/~isshun_y/mater6-1.html
これは メッセージ 61623 (pokosi2000 さん)への返信です.
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