Re: youtube 真実はどこに
投稿者: and_so_on1 投稿日時: 2009/09/26 10:56 投稿番号: [60358 / 73791]
昭和19年
祖父はフィリピンにいました。
私と同じ23歳の祖父です。
フィリピンは日米の戦争に巻き込まれていました。
連日、海にはアメリカ艦隊の大群が押し寄せたそうです。
ミッドウェー海戦以降の日本軍は大東亜戦争初期の勢いはなく、豊富な物資と強大な工業力を持つ米軍に徐々に追い詰められていきました。
そんな中昭和19年6月15日、本土防衛のための重要拠点であったサイパン島が米軍に攻略された。これよりB29による本土爆撃が可能となった。
フィリピンは日本と南方の石油をつなぐ戦略的な要所であり、米軍が獲得に動いた。フィリピンを守る第一航空艦隊の当時の戦力は、零戦約40機しかなかった。これだけの戦力では通常の作戦ではどうしようもないということは、明らかと思われた。
大西中将は遂に、「零戦に250kg爆弾を抱かせて体当たりをやるほかに、確実な攻撃方法はないと思うが、どんなものだろうか?」と体当たり攻撃を部下たちに提案した。
このとき全員が両手をあげてこの作戦に賛成した。
当時の戦況、そして搭乗員たちの士気というのはそのようなものであった。
神風特別攻撃隊の編成
攻撃隊が編成された翌日、戦闘機の整備兵をやっていた祖父に、特別攻撃隊の友人が語った言葉です。
「もう戦争は続けるべきでない。しかし敵を追い落とすことができれば、七分三分の講和ができるだろう。」
「アメリカを本土に迎えた場合、恐ろしい国である。歴史に見るインディアンやハワイ民族のように、闘魂のあるものは次々各個撃破され、日本民族の再興の機会は永久に失われてしまうだろう。このためにも特攻を行ってでもフィリピンを最後の戦場にしなければならない。しかしこれは、九分九厘成功の見込みはない。ではなぜ見込みはないのにこのような強行をするのか」
「ここに信じてよいことがある。
いかなる講和の形になろうとも
日本民族が将に滅びんとする時に当たって
身をもってこれを防いだ若者たちがいた
という歴史の残る限り
五百年後、千年後の世に必ずや
日本民族は再興するであろう。」
大空に雲は行き雲は流れり
すべての人よさらば
後を頼む
征って参ります
人は一度は死するもの
微笑んで征きます
出撃の日も
そして永遠に
イッテマイリマス
ノチノニホンニ
エイコウアレ
あとは省略します。
実際にyoutube見てください。
これらの遺書の背景には、零戦が敵艦に体当たりする場面が描き出されて、私はいつもつらくなります。
これほどの犠牲の上に今日の世があるのに、俺たちはむざむざとミンスに政権を渡し亡国の危機に至らしめた。
明日ガイ人参政権拒否のデモ行進が、秋葉原であるそうです。13時30分集合。
私は明日は予定があるので無理ですが、10月17日のは行きます。
これは メッセージ 60357 (and_so_on1 さん)への返信です.
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