いよいよ韓国消滅へカウントダウン!

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

朝鮮戦争

投稿者: japanpoors 投稿日時: 2009/06/14 19:56 投稿番号: [56844 / 73791]
6月27日に国連安保理は北朝鮮弾劾・武力制裁決議に基づき韓国を防衛するため、必要な援助を韓国に与えるよう加盟国に勧告し、7月7日にはアメリカ軍25万人を中心としてイギリスやオーストラリアなどのイギリス連邦諸国なども加わった国連軍を結成した。なおこの国連軍に常任理事国のソ連は編入しなかった(詳しい参戦国は後述する)。

なお、朝鮮戦争において国連は、国連軍司令部の設置や国連旗の使用を許可している。しかし、国連憲章第7章に規定された手順とは異なる派兵のため、厳密には国連軍ではなく、多国籍軍の一つとなっていた。

準備不足の国連軍は各地で敗北を続け、アメリカ軍が大田攻防戦で歴史的大敗を喫すると、とうとう国連軍は最後の砦洛東江円陣にまで追い詰められた。また、この時韓国軍は保導連盟員や共産党関係者の政治犯などを20万人以上殺害したと言われている(保導連盟事件)[5]。

この頃北朝鮮軍は、不足し始めた兵力を現地から徴集した兵で補い人民義勇軍を組織化し[6](離散家族発生の一因となった)、再三に渡り大攻勢を繰り広げる。金日成は「解放記念日」の8月15日までに統一するつもりであったが、国連軍は徹底抗戦の構えを崩さず釜山橋頭堡でしぶとく抵抗を続け、北朝鮮軍の進撃は止まった。

また、北朝鮮軍と左翼勢力は、忠北清州や全羅北道金堤で大韓青年団員、区長、警察官、地主やその家族などの民間人数十万人を「右翼活動の経歴がある」などとして大量虐殺した[6]。また、北朝鮮軍によりアメリカ兵捕虜が虐殺される303高地の虐殺が起きた[7]。



仁川に上陸する国連軍兵士

仁川上陸後にソウルで戦う国連軍兵士詳細は仁川上陸作戦を参照

マッカーサーは戦線建て直しに全力を注ぎ、数度に渡る牽制の後の9月15日に、ソウル近郊の仁川に、国連軍の中から選別したアメリカ軍の第1海兵師団および日本に駐留する第7歩兵師団、さらに韓国軍の一部からなる約7万人を上陸させる事に成功した。大きな転換点の1つとなる仁川上陸作戦(クロマイト作戦)である。これに連動したスレッジハンマー作戦で国連軍の大規模な反攻が開始されると、戦局は一変した。

補給部隊が貧弱であった北朝鮮軍は、38度線から300km以上離れた釜山周辺での戦闘で大きく消耗していたこともあり敗走を続け、9月28日に国連軍がソウルを奪還し、9月29日には李承晩ら大韓民国の首脳もソウルに帰還した。なお、この時敗走した北朝鮮兵の残党が韓国内でゲリラ化し、国連軍は悩まされた。


38度線越境と中国人民志願軍参戦 [編集]
10月1日に韓国軍は、「祖国統一の好機」と踏み、国連軍の承認を受けて単独で38度線を突破した。10月2日に、韓国軍の進撃に対し北朝鮮は中華人民共和国首脳に参戦を要請。中華人民共和国の国務院総理(首相)の周恩来は「国連軍が38度線を越境すれば参戦する」と警告。だが10月9日には国連軍も38度線を越えて進撃した。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)