Re:柴五郎
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2009/06/14 19:30 投稿番号: [56843 / 73791]
会津のサムライですね。
お姉さんが会津戦争でお亡くなりになっていたと記憶しています。
会津戦争は必要のない戦争だった。
すでに松平容守公は恭順され戦う意志はなかった、これを攻撃するは薩長の私怨によるものでしかありません。
白虎隊の方々の骸は賊軍であるからと埋葬を禁止され2週間も放置されました。
会津な方々が薩長を恨むのは当たり前です。
松平容守公は孝明天皇の信頼は厚く、新撰組は誠の勤王の志士です。
もし孝明天皇がご存命であったら明治維新は違った展開となったでしょう。
俺は坂本龍馬と孝明天皇を殺したのは薩摩の大久保ではないかと疑っている。
それほど薩摩にとって都合の良い事件だった。
その後日本は藩閥政治の時代となり軍・内閣の要職を薩長が独占し続けた。
例日露戦争の司令官
陸軍
総司令官
大山巌(薩摩)
総参謀
児玉源太郎(長州)
一軍司令官
黒木為元(薩摩)
二軍司令官
奥保堅(幕府)
三軍
乃木希介(長州)
海軍
連合艦隊司令長官
東郷平八郎(薩摩)
第二艦隊司令
上村彦之丞(薩摩)
資料を当たってないから誤字があるかも知れないが、ご容赦お願いします。
柴五郎は北清事変での北京守備隊の司令官として活躍しました。
アメリカ人の作った北京の50日とかいう映画では脇役でしたが。
事実は彼が北京を守ったと言って言い功績を残しました。
そして彼は日本軍の占領地域では一切の略奪行為を禁止してシナ人を守りました。
シナ人は争って日本帝国順民の名札を付けて日本媚びました。
それに対し米英ロシアの占領地は酷いモノでした、特にロシア軍は司令官のリネウイッチ自ら略奪に参加したらしい。
しかし、シナ人にはサムライ精神は通じなかった。
シナ人は軍隊は乱暴を働くのが当たり前であって乱暴を働かない日本を馬鹿にした。
その後日本はシナ人のナショナリズムの標的にされました。
一切根拠をググッテないので誤字等があるかも知れませんがご容赦お願いします。
俺の結論、シナ人・チョウセン人に情けは不要。
これは メッセージ 56841 (run_run72 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a4a4a4ha4a4a4h4z9qbeclga4xa5aba5a6a5sa5ha5c0a5a6a5sa1aa_1/56843.html