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Re: 北の核実験やら・・・閑話休題

投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2009/06/10 11:24 投稿番号: [56707 / 73791]
run_run72 さん・・・遅レスだし話は少し逸れますが、チョッとばかり西南戦争に関わる土佐人の話を。(と言うのもご存知のように、高知県は何を取っても全国最下位の貧乏県。せめて歴史に興味のある方に観光に着て欲しいものです。草花が好きな人は、牧野植物園もありますから)

それにしても・・・今日、過去の人物を凌ぐ人材(私も含めて)のいない高知県の現状は嘆かわしい(笑)。いつまでも昔の人の名声に頼っていてはね・・・


紹介していただいた下のサイトに出てくる熊本鎮台司令長官・谷干城(「たにかんじょう」高知県ではそう呼びます)は、高知県出身者ですね。

http://kunisaki.blog69.fc2.com/blog-entry-38.html
「政府軍側、熊本鎮台司令長官「谷 干城(たに   たけき)」は熊本城周辺の市民を避難させ、さらに薩軍が大砲を隠せないように射程距離内の家屋を焼き払い、部下達には徹底抗戦を指示、この時より実に52日間に渡る篭城戦となる」


Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B9%B2%E5%9F%8E

「谷 干城(たに たてき、天保8年2月12日(1837年3月18日) - 明治44年(1911年)5月13日)は、幕末から明治にかけて活躍した、土佐藩士、軍人、政治家。」

「江戸に出て安井息軒の弟子となって学んだ。その後、土佐に帰国して藩校・致道館で史学助教授となった。このとき、武市半平太と知り合って友人となり、尊王攘夷運動に傾倒する。しかし慶応2年(1866年)、藩命で長崎を視察したとき、ここで後藤象二郎や坂本龍馬と交わって、攘夷の不可なるを悟り、次第に倒幕へ傾いていったといわれている。慶応3年(1867年)には再び江戸に出て西郷隆盛と会い、薩土(薩摩藩と土佐藩)同盟を結んで討幕運動を目指した。明治元年(1868年)の戊辰戦争では、大軍監として北関東・会津戦線で活躍し、明治3年(1870年)、藩少参事として藩政改革に尽力した。」

「明治10年(1877年)、西南戦争の際には52日にわたって西郷軍の攻撃から熊本城を死守し、政府軍の勝利に貢献した。」

「西南戦争の功績により陸軍中将に昇進、陸軍士官学校長となった。しかし1881年に先の台湾出兵で戦死・病死した将兵の遺体を一部の地方官が乱暴に取り扱った事実を政府・陸軍首脳部が放置していた事実を知って抗議の辞任をする。」

「この時、明治天皇は谷の意見を評価して辞任を差し止めさせようとしたり、佐々木高行を通じて帰郷を延ばして自分に忠節を尽くすように伝言している。」

「谷干城は同じ土佐藩の出身者である坂本龍馬を厚く尊敬し、慶応3年(1867年)に龍馬が暗殺されたときには、真っ先に現場に駆けつけ、瀕死の状態にあった中岡慎太郎から龍馬暗殺の経緯を聞きだし、生涯をかけて龍馬の暗殺犯を追ったという」


会津の人は、今でも薩長に好感を抱いていないと言う事ですが、土佐には反感を抱かなかったようです。それは土佐人が谷干城のように会津藩士の遺体を粗略にしなかったからだと言われています。

閑話休題・・・高知県人は自らを「土佐人」と呼びますが、ぼろは着ててもプライドが高いからでしょうね。
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