製鉄の起源(2)
投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2009/06/05 23:46 投稿番号: [56582 / 73791]
投稿者:直子
中国大陸の製鉄
新石器時代に発達した製陶窪(くぼ)は1,280℃の高温を得ていたという。紀元前15世紀の頃、銅製練が始まっている。
製鉄の起源は春秋時代(B.C1000)とみられ、最初は直接製鉄法の海綿鉄製練だった。
●前6〜5世紀(前7世紀説もある)頃、華北地方(黄河の北)では、炉の改善で銑鉄製造(溶融冶金)に移行した。製陶、銅製練技術を応用したものと思われる。赤鉄鉱、褐鉄鉱、砂鉄を製練し、銑鉄から練鉄が造られた。炉温の改善で磁鉄鉱からも製練された。
時を同じくして、鋳鉄(銑鉄)の脆さを克服する焼き鈍(なま)し技術が発見された。可鍛鋳鉄である。
漢代の前2世紀頃、製鉄技術は完成の域に達し最盛期を迎えた。その画期は、溶融銑を撹拌脱炭して鋼を造る間接法の炒鋼法の開発にあった。シルクロードを通ってペルシャの技術が伝播したとみられている。後の西洋のパドル製鋼法と同じ原理である。
前漢代の遺跡から、精練用の炒鋼炉、反射炉、坩堝の他、直接法の海綿鉄炉が確認された。小型竪炉に依る溶鉱も実現し、滲炭法も開発した。又、薪・木炭を火力の強い石炭(無煙炭)に換えて、生産量を増大させた。鍛鉄を灼熱して水中で急冷する焼入法(刃金技術)もこの時代に盛んに行われた。生産効率が良い炒鋼法の実現に依り、鋳造鉄器に加え、鍛造鉄器の実用化が図られた。
特に刀剣・武器類への影響が大きかった。 刀剣・工具は鍛造(初期は鋳鉄と青銅併用)で、農耕用具・生活工具は鋳造で造られた。
然し、華北地方の厳寒地では、鍛造品は脆(もろ)い為に鋳造青銅品が暫く重用された。華北地方は間接法が主で直接法は従だった。
●江南地方(長江の南部)では、赤鉄鉱又は砂鉄を原料として直接製鉄法を主流に練鉄を生産した。
西南シルクロードや海上交易を通じたオリエント及びインドからの技術伝播と思われる。
紀元前3〜2世紀頃より、皮鞴(ふいご)に替わり、手押し〜足踏フイゴが登場して炉温が改善される。前3世紀頃、個体脱炭鋼が生まれた。
海綿鉄と鋳鉄は技術的には同じもので、単に製練温度の違いだけである。練鉄で武器を、鋳鉄で農・工具や生活用具を造った。
この直接法=海綿鉄又は塊練鉄製練が南部朝鮮と日本に伝播したと推定されている。
●河南(中原=黄河中流域)地方は、直接法と間接法の両方式が混在した。
北方と西南シルクロードの交点に四川(しせん)があり、早くに文化が栄えていた。北方と南方の両方式の技術が伝播しても不思議はない。
山東半島から長江下流域の沿岸一帯に含銅磁鉄鉱床の存在が知られ、日本の古墳出土の鉄鋌(てってい)は、成分分析から、河南〜江南の含銅磁鉄鉱石に依る炒鋼と分析されている。又、大陸と日本との交易ルート(下図参照)からも河南が着目されている。
そうであれば、日本への製練技術の伝播は、直接製鉄法だけではなく、間接製鉄法の可能性も出てくる事になる。
後世、入唐(唐に渡った)した僧侶達が製練技術を習得して帰日している。技術の伝播は必ずしも朝鮮半島を経由するとは限らない。
広大な大陸の南北で、直接法と間接法の二つの製鉄法が併立していた。華北が間接製鉄法に移行していた頃、日本は弥生時代中期中葉だった。イギリスが間接製鉄法を完成したのは、漢代より約2,000年遅れて18世紀になってからである。
中国は製鉄の先進国となっていた。鉄は武器・武具、農・工具を飛躍させ、国家の存立を左右した。鉄の大量生産が求められた。
漢の武帝は朝鮮北部の楽浪郡他四郡を直接支配し、半島の鉄資源の確保を狙った。日本も鉄資源を求めて盛んに半島と交易した。
以上、以下のブログからコピペしました。歴史的探求の足がかりになるかも知れません。それにしても、400℃程度では鉄といえるものが出来ません。
異説・たたら製鉄と日本刀
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_130.htm
中国大陸の製鉄
新石器時代に発達した製陶窪(くぼ)は1,280℃の高温を得ていたという。紀元前15世紀の頃、銅製練が始まっている。
製鉄の起源は春秋時代(B.C1000)とみられ、最初は直接製鉄法の海綿鉄製練だった。
●前6〜5世紀(前7世紀説もある)頃、華北地方(黄河の北)では、炉の改善で銑鉄製造(溶融冶金)に移行した。製陶、銅製練技術を応用したものと思われる。赤鉄鉱、褐鉄鉱、砂鉄を製練し、銑鉄から練鉄が造られた。炉温の改善で磁鉄鉱からも製練された。
時を同じくして、鋳鉄(銑鉄)の脆さを克服する焼き鈍(なま)し技術が発見された。可鍛鋳鉄である。
漢代の前2世紀頃、製鉄技術は完成の域に達し最盛期を迎えた。その画期は、溶融銑を撹拌脱炭して鋼を造る間接法の炒鋼法の開発にあった。シルクロードを通ってペルシャの技術が伝播したとみられている。後の西洋のパドル製鋼法と同じ原理である。
前漢代の遺跡から、精練用の炒鋼炉、反射炉、坩堝の他、直接法の海綿鉄炉が確認された。小型竪炉に依る溶鉱も実現し、滲炭法も開発した。又、薪・木炭を火力の強い石炭(無煙炭)に換えて、生産量を増大させた。鍛鉄を灼熱して水中で急冷する焼入法(刃金技術)もこの時代に盛んに行われた。生産効率が良い炒鋼法の実現に依り、鋳造鉄器に加え、鍛造鉄器の実用化が図られた。
特に刀剣・武器類への影響が大きかった。 刀剣・工具は鍛造(初期は鋳鉄と青銅併用)で、農耕用具・生活工具は鋳造で造られた。
然し、華北地方の厳寒地では、鍛造品は脆(もろ)い為に鋳造青銅品が暫く重用された。華北地方は間接法が主で直接法は従だった。
●江南地方(長江の南部)では、赤鉄鉱又は砂鉄を原料として直接製鉄法を主流に練鉄を生産した。
西南シルクロードや海上交易を通じたオリエント及びインドからの技術伝播と思われる。
紀元前3〜2世紀頃より、皮鞴(ふいご)に替わり、手押し〜足踏フイゴが登場して炉温が改善される。前3世紀頃、個体脱炭鋼が生まれた。
海綿鉄と鋳鉄は技術的には同じもので、単に製練温度の違いだけである。練鉄で武器を、鋳鉄で農・工具や生活用具を造った。
この直接法=海綿鉄又は塊練鉄製練が南部朝鮮と日本に伝播したと推定されている。
●河南(中原=黄河中流域)地方は、直接法と間接法の両方式が混在した。
北方と西南シルクロードの交点に四川(しせん)があり、早くに文化が栄えていた。北方と南方の両方式の技術が伝播しても不思議はない。
山東半島から長江下流域の沿岸一帯に含銅磁鉄鉱床の存在が知られ、日本の古墳出土の鉄鋌(てってい)は、成分分析から、河南〜江南の含銅磁鉄鉱石に依る炒鋼と分析されている。又、大陸と日本との交易ルート(下図参照)からも河南が着目されている。
そうであれば、日本への製練技術の伝播は、直接製鉄法だけではなく、間接製鉄法の可能性も出てくる事になる。
後世、入唐(唐に渡った)した僧侶達が製練技術を習得して帰日している。技術の伝播は必ずしも朝鮮半島を経由するとは限らない。
広大な大陸の南北で、直接法と間接法の二つの製鉄法が併立していた。華北が間接製鉄法に移行していた頃、日本は弥生時代中期中葉だった。イギリスが間接製鉄法を完成したのは、漢代より約2,000年遅れて18世紀になってからである。
中国は製鉄の先進国となっていた。鉄は武器・武具、農・工具を飛躍させ、国家の存立を左右した。鉄の大量生産が求められた。
漢の武帝は朝鮮北部の楽浪郡他四郡を直接支配し、半島の鉄資源の確保を狙った。日本も鉄資源を求めて盛んに半島と交易した。
以上、以下のブログからコピペしました。歴史的探求の足がかりになるかも知れません。それにしても、400℃程度では鉄といえるものが出来ません。
異説・たたら製鉄と日本刀
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_130.htm
これは メッセージ 56581 (k_g_y_007_naoko さん)への返信です.