製鉄の起源(1)
投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2009/06/05 23:39 投稿番号: [56581 / 73791]
投稿者:直子
製鉄の始まり
世界最古の鉄器は北イラクのサマラから出土した前5,000年の長さ4.5㎝の工具とされる。次いで、西イラン、テペ・シアルク出土の小球三個(前4,400年)、エジプト・ゲルゼー墓のビーズ九個、同アルマント墓のリング(いずれも前3,300年)、トルコのアラジャホユクK号墳から黄金装鉄製短剣(前2,300年=日本の縄文中期)などが出土した。青銅期中期の前2,000〜1,600年の期間にアナトリア、キプロス島、クレタ島から8件の鉄資料が出土した。前1,600〜1,200年にかけてヒッタイト帝国はアナトリア半島を中心に勢力を誇っていた。
アナトリアの遺跡の発掘が進み、粘土板に刻まれた楔形文字の古文書に鉄の記述があった(鉄は金の8倍もする貴重品だった)。
この期間、メソポタミア、シリア、アナトリア、パレスチナ、エジプト、キプロス島、クレタ島、エーケ゜海諸島、ギリシャの各地から74件の鉄資料が出土した。化学分析された12試料中、6例が隕鉄を原料とし、他の6例は明瞭に人工鉄と分析された。
これらの遺跡の出土品の中に、ヒッタイト帝国成立前の人工鉄が確認され、製鉄は各地で自生していたと判断される。
古代人は鉄の造り方をどのようにして知ったのだろうか。
銅製練の経験から、銅原鉱の含有鉄分、或は溶剤の鉄鉱石粉が溶鉱炉内で偶然還元して塊鉄が生成したとの説がある。
又、古代エジプトの金の坩堝(るつぼ)製練で、混入した砂鉄から鉄塊を得たとの説もある(この仮説は炉温からしても無理との否定論がある)。
ベンガラ(酸化第二鉄)が顔料に使われていたので、木炭炉で偶然にそれを還元して鉄を得たという説もある。
その他、森林火災説、鉱石や砂鉄の上での焚き火説などが入り乱れている。
民族や地域に依って恐らく製鉄の発見は様々であったと思われる。
只、この当時の海綿鉄や塊練鉄から得られる練鉄は、青銅より強度が劣っていた。主に装飾品に使われる貴重品だった。
前1,190年、ヒッタイトが海の民に滅ぼされた。この混乱が東部地中海地域の交易を分断して中央アジアからの錫の供給を困難とした。
青銅製造に支障を生じ、鉄が改めて見直された。青銅に替わる鉄には硬度と強度が求められた。従来、ヒッタイト帝国が製鉄を独占していたとの説は誤りのようである。ヒッタイトが秘匿したのは製鉄技術ではなく、練鉄の製鋼(鋼化=滲炭)技術だったと思われる。
この製鋼技術が明らかとなり、前12世紀以降、東部地中海を中心に青銅が急速に実用鉄器に替わっていったと見做(みな)される。 最初の製練は小さな炉で、鉄鉱石や砂鉄を薪や木炭で燃焼し、自然通風の炉内温度が800℃前後であれば海綿鉄が得られた。
銅製練の実績があれば.1,100℃近い炉温を実現していたので塊練鉄を得ていたことだろう。いずれも直接製鉄法であった。
海綿鉄や塊練鉄は、鍛冶に依って赤熱鍛打されて適当な練鉄が造られた。日本のたたら製練、人力精練と同じである。
紀元前10世紀頃、小アジアからヨーロッパ、インド※、中国等に製鉄技術が伝播したと見られている。
この内、中国は紀元前6〜5世紀頃には溶融銑鉄の製造に成功していた。ヨーロッパでは、14世紀になるまで溶融銑鉄は出来なかった。
前12世紀頃の小アジアに於ける直接製練の実用化と、前6〜5世紀頃の中国の溶融製練は二大製鉄の流れとなった。
※インドでは紀元前1,500年頃の詩編「リグ=ヴェーダ」に鉄の名があり製鉄起源は古いとされる
製鉄技術を渡来技術とすれば、我が国に影響を及ぼした大陸と半島の状況を無視する訳にはいかない。
日本古刀の鋼材と構造を推論する為には、先ず我が国の製鉄発祥に密接する大陸と朝鮮半島の古代製鉄の状況を概観する。
製鉄の始まり
世界最古の鉄器は北イラクのサマラから出土した前5,000年の長さ4.5㎝の工具とされる。次いで、西イラン、テペ・シアルク出土の小球三個(前4,400年)、エジプト・ゲルゼー墓のビーズ九個、同アルマント墓のリング(いずれも前3,300年)、トルコのアラジャホユクK号墳から黄金装鉄製短剣(前2,300年=日本の縄文中期)などが出土した。青銅期中期の前2,000〜1,600年の期間にアナトリア、キプロス島、クレタ島から8件の鉄資料が出土した。前1,600〜1,200年にかけてヒッタイト帝国はアナトリア半島を中心に勢力を誇っていた。
アナトリアの遺跡の発掘が進み、粘土板に刻まれた楔形文字の古文書に鉄の記述があった(鉄は金の8倍もする貴重品だった)。
この期間、メソポタミア、シリア、アナトリア、パレスチナ、エジプト、キプロス島、クレタ島、エーケ゜海諸島、ギリシャの各地から74件の鉄資料が出土した。化学分析された12試料中、6例が隕鉄を原料とし、他の6例は明瞭に人工鉄と分析された。
これらの遺跡の出土品の中に、ヒッタイト帝国成立前の人工鉄が確認され、製鉄は各地で自生していたと判断される。
古代人は鉄の造り方をどのようにして知ったのだろうか。
銅製練の経験から、銅原鉱の含有鉄分、或は溶剤の鉄鉱石粉が溶鉱炉内で偶然還元して塊鉄が生成したとの説がある。
又、古代エジプトの金の坩堝(るつぼ)製練で、混入した砂鉄から鉄塊を得たとの説もある(この仮説は炉温からしても無理との否定論がある)。
ベンガラ(酸化第二鉄)が顔料に使われていたので、木炭炉で偶然にそれを還元して鉄を得たという説もある。
その他、森林火災説、鉱石や砂鉄の上での焚き火説などが入り乱れている。
民族や地域に依って恐らく製鉄の発見は様々であったと思われる。
只、この当時の海綿鉄や塊練鉄から得られる練鉄は、青銅より強度が劣っていた。主に装飾品に使われる貴重品だった。
前1,190年、ヒッタイトが海の民に滅ぼされた。この混乱が東部地中海地域の交易を分断して中央アジアからの錫の供給を困難とした。
青銅製造に支障を生じ、鉄が改めて見直された。青銅に替わる鉄には硬度と強度が求められた。従来、ヒッタイト帝国が製鉄を独占していたとの説は誤りのようである。ヒッタイトが秘匿したのは製鉄技術ではなく、練鉄の製鋼(鋼化=滲炭)技術だったと思われる。
この製鋼技術が明らかとなり、前12世紀以降、東部地中海を中心に青銅が急速に実用鉄器に替わっていったと見做(みな)される。 最初の製練は小さな炉で、鉄鉱石や砂鉄を薪や木炭で燃焼し、自然通風の炉内温度が800℃前後であれば海綿鉄が得られた。
銅製練の実績があれば.1,100℃近い炉温を実現していたので塊練鉄を得ていたことだろう。いずれも直接製鉄法であった。
海綿鉄や塊練鉄は、鍛冶に依って赤熱鍛打されて適当な練鉄が造られた。日本のたたら製練、人力精練と同じである。
紀元前10世紀頃、小アジアからヨーロッパ、インド※、中国等に製鉄技術が伝播したと見られている。
この内、中国は紀元前6〜5世紀頃には溶融銑鉄の製造に成功していた。ヨーロッパでは、14世紀になるまで溶融銑鉄は出来なかった。
前12世紀頃の小アジアに於ける直接製練の実用化と、前6〜5世紀頃の中国の溶融製練は二大製鉄の流れとなった。
※インドでは紀元前1,500年頃の詩編「リグ=ヴェーダ」に鉄の名があり製鉄起源は古いとされる
製鉄技術を渡来技術とすれば、我が国に影響を及ぼした大陸と半島の状況を無視する訳にはいかない。
日本古刀の鋼材と構造を推論する為には、先ず我が国の製鉄発祥に密接する大陸と朝鮮半島の古代製鉄の状況を概観する。
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.