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Re: 鉄器先進国・日本

投稿者: kirameku9umi 投稿日時: 2009/06/03 11:54 投稿番号: [56468 / 73791]
弥生時代の鉄生産に興味のある方に・・・鉄生産規模や流通ルートのアウトラインが分かる討論を掲載しておきます。

鉄の生産その物は、小規模であればそれほど難しくはない技術です。
日本人は朝鮮人よりも早く、鉄器の使用とほぼ同時期に原始的な生産技術を獲得いたと考えられます。


もう一つの鉄器のルート「ポリツェ文化(アムール川流域では紀元前1千年紀のポリツェ文化に,鉄器が存在している。放射性炭素年代では,前980年という数値が提出されている。ポリツェ文化の鉄器には,斧・刀子・鉄鏃・小札・釣針などが存在している)」は、また後日と言うことで・・・



討論室   -   東アジアの古代文化を考える会

【鉄器生産から見た弥生終末の日本列島 】
http://e-asia.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=121

『弥生終末、壱岐の原の辻西日本全体の交易窓口であった
らしい。ここを通じてなど、列島各地は鉄を独自ルート
の確保を努力していたようである。
北九州は逸早く鉄器生産技術を入手した。阿蘇や有明、大分地域も鉄器生産を活発化した。特に阿蘇地域は北九州
との交流も濃く、弥生終末には列島最大の鉄器生産地域
に成長していた。また日本海地域各地も恐らく北九州とは
別のルートで鉄を入手し、弥生終末、鉄大刀の宝庫となっていた。四国にも鉄器生産が見られるが、特に徳島には
北九州からの鉄器生産の伝達があったようである。
しかしながら吉備、ヤマト周辺、東海の鍛冶遺跡は
貧弱のようである。ヤマトには日本海ルートで鉄器が
入ったのではないか?弥生終末に瀬戸内ルートはあまり
機能していなかったように思われる。
鉄器などの交易ルートを求めて吉備、ヤマト周辺、東海などが結託したのではなかろうか。』

『 弥生終末に熊本の阿蘇地域が鉄器生産が日本列島でもっとも盛んな地域であった 』

 
『製鐵からやってたとして、どの程度の量だったのでしょう。
  北部九州〜近畿は、古墳時代(前期?)まで鉄素材として半島系の「板状鉄斧(鉄?)」が入ってきて、古墳に副葬されていますが。
一方で、広島県三原市の小丸遺跡は3世紀、すなわち弥生時代後期の製鉄遺跡ではないかとマスコミに騒がれました。そのほかにも広島県の京野遺跡(千代田町)、西本6号遺跡(東広島市)など弥生時代から古墳時代にかけての製鉄址ではないかといわれるものもありますが、いずれも、中国山地ですね。
それ以前に弥生製鉄法があったとしても、恐らく小型の炉を用い、少量の還元鉄を得て、主に鍛冶で錬鉄に鍛えるというような、原始的で、非常に小規模なものだったと思われます。
半島からの流入量と比べるとどの程度の生産量だったか。
北部九州の女王国が狗奴国に鉄を流通させなかったから、自給するしかなかった程度の量なのか』
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