百済武寧王について
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2009/05/16 20:35 投稿番号: [55816 / 73791]
三国史記によると名前は斯摩だ、しかし表記が間違っていた、正確には日本書紀に記録された斯麻王が正しい。これは武寧王の陵墓が発見され墓誌に斯麻王と表記されていたことにより日本書紀の記述の正確さが実証された
三國史記
卷第二十六
百済本紀第四
武寧王
武寧王
諱斯摩
或云隆
牟大王之第二子也
日本書紀武烈天皇四年条の記事。
是歳、百濟末多王無道、暴虐百姓。國人遂除、而立嶋王。是爲武寧王。【百濟新撰云、末多王無道、暴虐百姓。國人共除。
武寧王立。諱斯麻王。是[王昆]支王子之子。即末多王異母兄也。[王昆]支向倭。時至筑紫嶋、生斯麻王。自嶋還送、不
至於京。産於嶋。故因名焉。今各羅海中有主嶋。王所産嶋。故百濟人號爲主嶋。今案、嶋王是蓋鹵王之子也。末多王、是
[王昆]支王之子也。此曰異母兄、未詳也。】
日本の島で生まれたから斯麻王、日本語の名前を持ち。
日本特産の高野槙の棺で眠り、日本産の翡翠の勾玉が副葬されている。
とっても親日的な王様なのね。
それにしても朝鮮人、王様の名前を間違えるなよ失礼だろ(爆笑)
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羨道にあった誌石(墓碑)。墓地を神から買い取るための「買地券」として残っていた。(買地券は、同じものが太宰府など
でも発掘されている。)その誌石に、「斯麻王」(しまおう)と文字が刻まれていたため、この墓は百済第二十五代武寧王
(在位502〜523)の陵墓と確定した。
誌石からみて、武寧王は523年5月に死亡して525年8月に王陵に安置され、王妃は526年11月に死亡して529年2月に安置された。
そして閉塞用の磚のうち「士壬辰年作」の銘文磚は、王のなくなる11年前である512年に、既に築造準備がなされていたこと
を示している。
http://inoues.net/korea/buneiou.html
これは メッセージ 55793 (pokosi2000 さん)への返信です.
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