特に見るほどでもないが(笑)
投稿者: and_so_on1 投稿日時: 2009/05/16 20:25 投稿番号: [55815 / 73791]
http://www.youtube.com/watch?v=uA4gy6nyoIo&NR=1
チョンコが日本を絶対に許せない理由ですって。
何事かと思ったら閔妃暗殺だった。
・王室に嫁いでから数年もしないうちに王朝の政治に深く介入するようになった。そして、大院君と王太子冊立に絡む対立が深まると1873年大院君追放の指揮を裏で執り行い、高宗の父で摂政を務めていた大院君とその腹心の部下たちを王宮から追い出し、一族を高官に取り立て政治の実権を握った。
・開国政策をとり、日本と日朝修好条規(江華島条約)を締結するなど積極的な開化政策を実施した。日本から顧問を呼び寄せ、軍隊の近代化も始まったが、従来の軍隊(旧式軍隊)は放置され、賃金未払いなどが発生し、新式軍隊に対する不満が重なっていた。それと開化政策に不満を持つ大院君等の勢力が合わさり朝鮮の旧式軍隊が1882年明成皇后暗殺をもくろんだ(壬午軍乱)。 その際、多くの明成皇后派要人や日本人が殺され、日本大使館が焼き討ちにされたが、事件を察知した明成皇后は侍女を自らの身替りとしていち早く王宮を脱出し、(略)
・1884年の開化派の金玉均(1894年、明成皇后の刺客、洪鐘宇により上海で暗殺)らの甲申政変により一時期政権を奪われるが、これも清軍の力を使って政権を取り戻し、開化派の政権は3日で崩壊した。
1885年になると、ロシアの南下政策を警戒しだしたイギリスなどを牽制するために親露政策もとりはじめる。1894年に東学党の乱(甲午農民戦争)が起きると清軍と日本軍の介入を招き、日清戦争の原因と戦場になった。
以上wikiから。
これだけ悪どい腹黒い女が、国母ってすごいね。
しかも王宮内で、王妃の顔なんか日本人はほとんど知らん。
よって、閔妃の顔を知ってる王宮勤務の朝鮮人が日本人に内通してたんだろって話と、死姦したのも朝鮮人って話をどこかでみた。
現場見たわけじゃないから死姦の話は分からんが、手引きしたヤツがいたのは間違いないだろね。w
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%8E%89%E5%9D%87金玉均
>(暗殺後)金玉均の妻子については処刑された[6]とも逃亡したとも噂され行方不明であったが、日本は探偵を送ってその捜索を始めた。1894年12月、当時東学党の乱(甲午農民戦争)を鎮圧中の日本軍が忠清道沃川近傍で金玉均の妻と女子を偶然発見して保護した。その時の2人は実に憐れむべき姿だったという。
これは メッセージ 55813 (and_so_on1 さん)への返信です.
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