Re: niko_niko_yamato はトンズラかよ
投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2009/05/12 21:31 投稿番号: [55628 / 73791]
>三内丸山遺跡では、幅2m、高さ20mの栗の巨木を組み合わせた建物があったことが確認されています。今から5000年前の話しです。
その後古墳を作り、出雲大社を作った。
これは、昔から日本には測量の技術や、大工の技術があったということでしょう。
金剛組は、当時日本に無かったものを持っていたのだと思います。
つまりそれは、寺院建築についての知識(例えば伽藍の配置や形その他)。
大工の技術は当時においてハイテクではないか、それは朝鮮から来たのではなく、日本古来から積み重ねてきたものではないか?
というのが私の考えです。
yujukinokim氏を知っているとは心強い、俺も仲間ですね。
これは俺の反論ではありません。
俺の過去のトカゲへの反論からです。
要するに、法隆寺金堂は、外観や空間構成に関しては寺院としての態を成し、高度に洗練されてさえいるのだが、内陣側の組物の処理・天井の構法・頭貫の切継ぎ・そして梁皆無の構造法などに関しては、そのすぐ後の時代の建築物に比べて全くでたらめで、1000年以上の歴史を経て大成されていた当時の中国の建築技法に対して、十分に習熟した者が設計した建築とは到底思えないのである。
そうすると考えられることは、玉虫厨子のような何らかの建築的模型を手本にして、大陸建築の構造上の意味を充分に把握しない人間が作ったという可能性だ。
法隆寺金堂内部の組物は極めて単純なので、その方面の専門の技術者でなくとも、素人の留学生の見覚えて帰ってきた知識や、簡単な絵からでも、実現できる可能性は十分にある。
(と、昭和の法隆寺解体修理に参加した竹島卓一という研究者は言っている。)
日本の大工が西洋建築を見よう見まねで造った「擬洋風建築」が現れた明治期と似たようなことが行われていたのかも知れない。
ではどうしてこんな建築が今まで保ってきたのかというと、極めて贅沢な材料を使っているから、ということらしい。
元々、大陸や半島に比べて日本は木材資源に恵まれているのだが、特に法隆寺に使われている部材は、大陸はもちろん、日本でも後代の同規模の建物に例を見ないほどに太い。
長くて太くて強い材料をふんだんに使って造れば、そして補修を怠らなければ、多少構造上不合理でも、1300年保ってしまうのである。
(とは言え、400年前の大改修時にせよ、昭和の解体修理時にせよ、相当ヤバイ状態だったらしいが。)
これもエンコリからの孫引きですが、この法隆寺の構造に関し思うのは。
古代出雲大社の三本鉄鐶でまとめられた状態で出土した古代出雲の柱です。
これは メッセージ 55622 (monjujz さん)への返信です.
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