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勾玉について

投稿者: pokosi2000 投稿日時: 2009/04/11 19:52 投稿番号: [53487 / 73791]
勾玉こそ縄文人の精神を現日本人が受け継いでいる証拠であろう。
俺は過去のレスで日本の稲のDNAの種類が少ない事から、渡来人した弥生人はごく小数であったと結論した。
弥生時代になっても日本人は縄文時代の石器を使い続けていたし、また最近の発掘の成果から縄文人の骨が弥生時代の遺跡から発掘されたりしている。

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全国でもほとんど出土していない弥生時代前期から古墳時代にかけての人骨が良好な保存状況で見つかった!

(日本の土は酸性土壌なので人間の骨などは数十年で溶けてしまう、例外的に貝塚の近くに埋葬された場合などは溶けずに残る。)


兵庫県神戸市新方遺跡で弥生前期〜古墳中期のほぼ完全な人骨が出土


抜歯の風習がある


足を折り畳んで埋葬

出土例がきわめて少ない弥生時代早期の人骨がそれも複数発見された点に大
きな意義があるとされている。


そして、それらの人骨は頭蓋骨の形、筋肉の発達した肢体、湾曲した
大腿骨、抜歯の風習を持つなどから縄文人的特徴が指摘されている。

北部九州は稲作農耕を柱とする弥生文化がいち早く開花した地域として知られるが新町遺跡からも縄文的形質と抜歯風習を持つ人骨が出土(2400年前)

佐賀県大伴遺跡の支石墓群でも、多くの縄文的な人骨が発見されている(支石墓群の下から縄文人

弥生時代初頭の人骨の発掘例はこれだけで他には無いのだ、その全てが縄文人。

渡来系弥生人の根拠とされる山口県土井ヶ浜遺跡出土の人骨も抜歯の風習がある、弥生時代中期以降も弥生人の明らかな特徴のある人骨は無く多様性が認められるだけ、変だろう?

これが最近弥生人は大量には来なかったと説が変わってきた理由だ。

佐賀県呼子町の大友遺跡を発掘調査した九州大学考古学研究室の宮本一夫助教授は「弥生文化は、渡来人が来て縄文文化にとってかわったというより、渡来人の技術を縄文人が吸収し広げた説を裏付ける資料となりそう」と話している。

もちろん渡来人とは半島人ではないのは言うまでも無い。



弥生時代の始期はこれまでの通説から500年早まった。

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku213.htm

つまり500年かけて九州から近畿に弥生文化は伝わった。
圧倒的他数の縄文と弥生人は融和しつつ弥生文化がひろまり、縄文人が稲作を学んで弥生人となった。
従って勾玉文化も断絶せず現代まで伝えられた。
天皇家が朝鮮半島から来た征服人の子孫であるならばその王権の象徴に,
被征服民の文化である八坂瓊曲玉を使うはずがない。

これはおそらく翡翠の勾玉であろう。
実は新羅の王も翡翠の勾玉が大好きで、新羅の金冠と称するものがあるが、これは日本産の翡翠の勾玉を飾るための台にすぎない。

新羅は日本人が建国した国だ。

三国史記
脱解尼師今   立   一云吐解   時年六十二   姓昔   妃阿孝夫人   脱解本多婆那國所生也   其國在倭國東北一千里

その後王朝の姓は金氏に変わった朝鮮人に乗っ取られたんだろうな。
これは日本の新撰姓氏録でも裏付けられる。

185 右京 皇別   新良貴     彦波瀲武鎭草葺不合尊男稲飯命之後也 是出於新良国。即為国主。稲飯命出於新羅国王者組合 日本紀不見 185


翡翠の成因まで書くスペースが無くなった、それは後日。
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