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憲法第九条 - マッカーサ草案 (3)

投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2009/02/28 15:12 投稿番号: [50978 / 73791]
投稿者:爺

●昭和天皇が「戦争放棄」の発案者か

  鳩山由紀夫民主党代表は選挙中、“徴兵制”についても言及したというが、「論憲」の焦点はやはり「戦争放棄」だろう。そこでとかくの議論がある第9条の「戦争放棄」に限定してその起源を追ってみた。そのキーパーソンは昭和天皇であり、それを明らかにする資料の一つは昭和天皇とマッカーサーとの会見記録だと思う。ところが、その記録はほとんど明らかにされていない。会見は1945年9月27日から1951年4月15日まで11回行われているが、整理要約されたのは9回分だといわれ,そのうち第1回、第3回、第4回の分だけが伝えられている。「第9条」天皇起源説としては、大森実著『日本はなぜ戦争に二度負けたか』(149ページ中央公論社)のケーディス発言がある。それは「第9条は私が書きました。…」という民政局ケーディス大佐が「私は心の中で、第9条の戦争放棄の発想は、マッカーサーでもない,幣原でもない、発想は天皇だった、と考えてあの第9条を書きました。」と述べているからだ。これは大森が憲法制定作業から30年目にケーディスにインタビューして聞いたという。

●「幣原」起源説と幣原・マッカーサー会談

  戦争放棄の文言は、毎日新聞が松本試案をスクープした2日後の1946年2月3日、マッカーサーが憲法改正の柱として示した3原則(①天皇制存続②戦争放棄宣言③封建制度の終了)として初めて現れた。この着想は『マッカーサー回想記』によれば、幣原首相との会見だったとして、次のように記している。

「幣原男爵は1月24日(昭和21年)の正午に私の事務所を訪れ、私にペニシリンのお礼を述べたが、そのあと、…首相はそこで新憲法を書き上げるさいにいわゆる「戦争放棄」条項を含め,その条項では同時に日本は軍事機構は一切持たないことを決めたい、と提案した。そうすれば、旧軍部がいつの日にか再び権力を握るような手段を未然に打ち消すことになり、また、日本は再び戦争を起こす意思は絶対にないことを世界に納得させるという、二重の目的が達せられる、というのが幣原氏の説明だった。…私は腰が抜けるほど驚いた。…」(『マッカーサー回想記』下巻   朝日新聞社1964)

●芦田日記に「マッカーサー」提案説

  これに対して、芦田均が幣原の閣議報告の模様を記録した日記がマッカーサー説の根拠として挙げられている。「マッカーサーは先ず例の如く演説を始めた。『…日本の為に図るに寧ろ第二章(草案)の如く国策遂行の為にする戦争を放棄すると声明して日本がMoralLeadershipを握るべきだと思う。』幣原はこの時語を挿んでLeadershipといわれるが、恐らく誰もfollowerとならないだろうと言った。マッカーサーは『followersが無くても日本は失うところはない。…この際は先ず諸外国のReactionに留意すべきであって、米国案を容認しなければ日本の絶好のchanceを失うであろう。』…第一章(天皇条項)と戦争放棄とが要点であるから其の他については十分研究の余地ある如き印象を与えられたと、総理は頗る相手の態度に理解ある意見を述べられた。」(『芦田均日記』第一巻岩波書店1986)

  幣原はマッカーサーとの会談後、親友の大平駒槌(おおだいらこまつち=枢密顧問官)にその内容を語っていた。その内容が「大平メモ」として残っている。田中英夫著『憲法制定過程覚え書き』(有斐閣1980)によれば、1月24日のメモには「大いに2人は共鳴してその日はわかれたそうだ。」とあり、『マッカーサー回想記』の記述と「大平メモ」の記録とは非常によく似ている、という。また、2月21日のメモには「これ以外に天皇制をつづけてゆける方法はないのではないかという事に二人の意見が一致したので,この草案を通すことに幣原も腹を決めたのだそうだ。」と書いてあるという。

<続く>
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