Re: いよいよ韓国消滅へカウントダウン!
投稿者: ftdrjbhi 投稿日時: 2009/02/16 23:08 投稿番号: [49795 / 73791]
3章
明日香・馮
弘の墓と斑鳩・藤ノ木古墳
前章では北燕国天王馮 弘が祖国を捨て東方仏教の浄土を求めて日本列島にたどりついて、
連れてきた民たちとともに大和の明日香に住んだことをお話しました。
仏教徒の渡来です。この氏族が仏舎利や仏具・仏図・仏像を持って渡来してきたことは、書紀や
扶桑略記にも書かれていて否定することは出来ません。
だけど神の国倭国では、仏教がすんなりと受け入れられることはなかつたのでした。
古来の宗教を堅持する豪族たちによつて仏教は規制され、布教活動はつぎの世代に託されます。
馮 弘の長子・王仁は九州から仏教の種子を蒔きました。稔りをみることなく馮 弘は明日香の
地に波瀾の人生の幕を閉じたのでした。
この章では古墳出土品を中心に今までの話の「裏づけ」をしていきます。
奈良県新沢千塚古墳群126号墳
1963年奈良県橿原市新沢千塚古墳群の126号墳の発掘調査から思いもよらぬ遺品が出土
しました。
この五世紀後半の古墳は22×16mの長方形をした小さい古墳ですが、木棺内外に王侯に
匹敵する貴重品が納められていたのです。
北燕国ゆかりの出土品
【棺外には、鉄刀2口、青銅製熨斗1個と、漆盤3個がおかれていた。漆盤の1つには、黒漆の地
に朱で四神が描かれいる。
棺内遺物は主に装身具で、遺骸に装着していたような状況で出土している。それらを出土位置
によって復元すると次のようになる。】
【まず頭には布製などの冠(帽)の前面に金製方形冠飾を付け、髪には金線を螺旋状に巻きつ
けた垂飾を垂らし、左右の耳には長さ21cmの金製耳飾を付けている。
上半身の衣服には、径1cm程の小さな円形の金製歩揺と青色のガラス玉を多数縫い付けて
飾っている。
腰のベルトには、金銅製の帯金具を留めていて、腕には金と銀の腕輪をはめ、さらに指にも金・
銀の指輪をつけている。そして、両足の部分にガラス玉が集中しているため、ガラス玉で飾った
ブーツのような履をはいていたようだ。】
このように、全身を各種の装身具で飾ったこの人がもつとも大切にしていたものは、頭のすぐ
右側にあつた透明の切子ガラス椀と青色のガラス皿である。
そして径6.5cmの小型鏡は、頭部から約20cm離れた仕切り板を隔てたところに、多数の滑石製
臼玉等と一緒にに置かれていた。日本の古墳では、鏡を副葬する場合は遺骸のすぐ近くに置く
のが一般的であることを考えれば、このような扱いは珍しい。
これらの金・銀製装身具やガラス器は、いずれも海を渡ってもたらされたものである。それらの
故地は、朝鮮半島で作られたものもあるが、さらに中国大陸の東北地域や、ガラス器のように
はるか西方のサザン朝ペルシャに求められるものも含まれている。】−
(特別展「新沢千塚の遺宝とその源流」奈良県立橿原考古学研究所付属博物館 写真資料も同書)
<北燕国天王・馮家に関連>
全身金ピカの装身具に飾られたこの人物は、首につけた各種の首飾りの中に勾玉の首飾りを
つけ、列島の風習にも順応しているようにもみうけますが、出土した純金方形板は、中国遼寧省
朝陽北方にある北燕天王馮跋の弟馮素弗の墓や馮一族の墓(房身村2号墓)
から出土した冠帽飾りに酷似するといいます。
前章では北燕国天王馮 弘が祖国を捨て東方仏教の浄土を求めて日本列島にたどりついて、
連れてきた民たちとともに大和の明日香に住んだことをお話しました。
仏教徒の渡来です。この氏族が仏舎利や仏具・仏図・仏像を持って渡来してきたことは、書紀や
扶桑略記にも書かれていて否定することは出来ません。
だけど神の国倭国では、仏教がすんなりと受け入れられることはなかつたのでした。
古来の宗教を堅持する豪族たちによつて仏教は規制され、布教活動はつぎの世代に託されます。
馮 弘の長子・王仁は九州から仏教の種子を蒔きました。稔りをみることなく馮 弘は明日香の
地に波瀾の人生の幕を閉じたのでした。
この章では古墳出土品を中心に今までの話の「裏づけ」をしていきます。
奈良県新沢千塚古墳群126号墳
1963年奈良県橿原市新沢千塚古墳群の126号墳の発掘調査から思いもよらぬ遺品が出土
しました。
この五世紀後半の古墳は22×16mの長方形をした小さい古墳ですが、木棺内外に王侯に
匹敵する貴重品が納められていたのです。
北燕国ゆかりの出土品
【棺外には、鉄刀2口、青銅製熨斗1個と、漆盤3個がおかれていた。漆盤の1つには、黒漆の地
に朱で四神が描かれいる。
棺内遺物は主に装身具で、遺骸に装着していたような状況で出土している。それらを出土位置
によって復元すると次のようになる。】
【まず頭には布製などの冠(帽)の前面に金製方形冠飾を付け、髪には金線を螺旋状に巻きつ
けた垂飾を垂らし、左右の耳には長さ21cmの金製耳飾を付けている。
上半身の衣服には、径1cm程の小さな円形の金製歩揺と青色のガラス玉を多数縫い付けて
飾っている。
腰のベルトには、金銅製の帯金具を留めていて、腕には金と銀の腕輪をはめ、さらに指にも金・
銀の指輪をつけている。そして、両足の部分にガラス玉が集中しているため、ガラス玉で飾った
ブーツのような履をはいていたようだ。】
このように、全身を各種の装身具で飾ったこの人がもつとも大切にしていたものは、頭のすぐ
右側にあつた透明の切子ガラス椀と青色のガラス皿である。
そして径6.5cmの小型鏡は、頭部から約20cm離れた仕切り板を隔てたところに、多数の滑石製
臼玉等と一緒にに置かれていた。日本の古墳では、鏡を副葬する場合は遺骸のすぐ近くに置く
のが一般的であることを考えれば、このような扱いは珍しい。
これらの金・銀製装身具やガラス器は、いずれも海を渡ってもたらされたものである。それらの
故地は、朝鮮半島で作られたものもあるが、さらに中国大陸の東北地域や、ガラス器のように
はるか西方のサザン朝ペルシャに求められるものも含まれている。】−
(特別展「新沢千塚の遺宝とその源流」奈良県立橿原考古学研究所付属博物館 写真資料も同書)
<北燕国天王・馮家に関連>
全身金ピカの装身具に飾られたこの人物は、首につけた各種の首飾りの中に勾玉の首飾りを
つけ、列島の風習にも順応しているようにもみうけますが、出土した純金方形板は、中国遼寧省
朝陽北方にある北燕天王馮跋の弟馮素弗の墓や馮一族の墓(房身村2号墓)
から出土した冠帽飾りに酷似するといいます。
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.