謎のルート”で工作船の待つ日本海側へ?
投稿者: jrszvfahwb 投稿日時: 2009/02/08 15:02 投稿番号: [48920 / 73791]
浮かび上がる拉致の「点と線」
疑惑の「大町ルート」(写真:産経新聞)
「大町ルート」。北朝鮮による拉致被害者を調べている「特定失踪者問題調査会」(荒木和博代表)が目を付ける不思議な道筋がある。千葉から、東京や埼玉、長野を経て日本海へと抜ける、かつて在日朝鮮人らが多く使っていた物流ルートのことだ。「失踪者が消息を絶った現場を地図上に落とすと、奇妙にも多くがルート上に重なる」(調査会)。終点は北朝鮮工作員の上陸ポイントが多数設定されていた日本海沿岸。この“点と線”は何を物語っているのか…。
■太平洋側から失踪の謎…失踪者の3割がルート上
昭和37年4月、千葉県海上町(現旭市)の自宅から美容院に出かけたまま行方不明となった家事手伝い、加瀬テル子さん=失跡当時(17)=は、調査会が「拉致濃厚」とする失踪者だ。翌日には新宿コマ劇場へ観劇へ行く約束を叔母としていたといい、失踪時の所持金はパーマ代のみだった。
加瀬さんのほかにも、周辺では6件の失踪事案(未届も含む)があったことが調査会の調べで判明している。
だが、仮にこれらの失跡事案が拉致事件だとしても、海上交通量が多い太平洋側に、工作船が近づくことは事件発覚のリスクを伴う。そこで、調査会が立てた仮説が「太平洋側で拉致し、日本海側まで陸路で運ばれたとすれば、どのようなルートか」だった。
ヒントは、現地での聞き込み調査でみつかった。
「ここは水あめの産地で、在日朝鮮人の人々が多く従事していたんですよ」
現地調査の際、地元住民はこう説明したという。水あめは焼酎の味付けのため、日本海側から北朝鮮へ輸出されていた。そして、それらを日本海側まで運んだルートが「大町ルート」だった。
千葉を起点に東京や埼玉、山梨、ルート名ともなった長野・大町を経て、糸魚川付近で新潟、富山に分かれる。
新潟港は北朝鮮の貨客船、万景峰号が入港していたことで知られ、富山の氷見港にも、北朝鮮との間を往復する貨物船が頻繁に出入りしていた。
調査会の真鍋貞樹副代表は「(『大町ルート』を使って)新潟、富山の在日朝鮮人が食肉や海産物などを車で運んでいた。ルート周辺には在日の人々が多く居住する地域もあり、大切なルートだっだ」と解説する。
北陸から新潟にかけての日本海側には、工作員の上陸ポイントが多数設定されていた。
「そこには工作員をかくまったりする『土台人』と呼ばれる協力者がいたはずだ」。拉致問題に取り組む関係者はそう指摘する。
在日朝鮮人らの中で工作員に目をつけられた人々が、北朝鮮にいる親族の安全と引き換えに工作活動への協力を強要されたことは、これまでの拉致事件の捜査や韓国での公判の内容で明らかになっている。
調査会によると、失踪者が行方不明となった現場が大町ルート上に重なるケースは、約150件にも上るという。
これは、調査会に情報が寄せられている失踪者約470人の約3割に達し、「偶然の一致」とするには確かに多すぎる。現場は関東に集中しているが、ルート途中の地方にも、失踪ポイントは多く点在する。
「このルートで拉致被害者が運ばれた可能性は捨てきれない」
真鍋副代表はそう語る。
調査会には、その“実証例”ともいえる証言が寄せられたこともあった。
■「青年を新潟に運ぶのを手伝った」…ルートと符合する証言
平成16年10月末、調査会に一本の電話が入った。
「(千葉県内にある)病院の関連施設から新潟に運ぶのを手伝わされた。調査会が発表したあの青年だ。藤田さんだよ」
男は当時60歳ぐらい。北朝鮮と関係が深いとされる都内の病院関係者の運転手をしていたと自称したという。
調査会は電話に先立つ同年8月、昭和51年2月に埼玉県川口市の自宅からガードマンのアルバイトに行くと出かけたまま失跡した東京学芸大生、藤田進さん=同(19)=について、「拉致濃厚」と発表していた。
調査会は男と接触を重ねた。
「山梨を通って日本海側で富山方面に分かれる所から新潟へ行き、万景峰号に乗せた」「(藤田さんは)泣いていた」…。
男はそう証言した。警視庁にも「藤田さんの拉致にかかわった」という趣旨の供述をしたという。その“拉致”ルートは、まさに「大町ルート」そのものだった。
「だが…」と、真鍋副代表はトーンを落としながら言葉を続ける。
「残念ながら、男の話の信憑(しんぴょう)性を裏付けるものは何もない。『大町ルート』はあくまでも仮説にとどまっている」
古い話であり、警察の捜査でも、男の証言内容を今確認するのは不可能に近いためだ。
疑惑の「大町ルート」(写真:産経新聞)
「大町ルート」。北朝鮮による拉致被害者を調べている「特定失踪者問題調査会」(荒木和博代表)が目を付ける不思議な道筋がある。千葉から、東京や埼玉、長野を経て日本海へと抜ける、かつて在日朝鮮人らが多く使っていた物流ルートのことだ。「失踪者が消息を絶った現場を地図上に落とすと、奇妙にも多くがルート上に重なる」(調査会)。終点は北朝鮮工作員の上陸ポイントが多数設定されていた日本海沿岸。この“点と線”は何を物語っているのか…。
■太平洋側から失踪の謎…失踪者の3割がルート上
昭和37年4月、千葉県海上町(現旭市)の自宅から美容院に出かけたまま行方不明となった家事手伝い、加瀬テル子さん=失跡当時(17)=は、調査会が「拉致濃厚」とする失踪者だ。翌日には新宿コマ劇場へ観劇へ行く約束を叔母としていたといい、失踪時の所持金はパーマ代のみだった。
加瀬さんのほかにも、周辺では6件の失踪事案(未届も含む)があったことが調査会の調べで判明している。
だが、仮にこれらの失跡事案が拉致事件だとしても、海上交通量が多い太平洋側に、工作船が近づくことは事件発覚のリスクを伴う。そこで、調査会が立てた仮説が「太平洋側で拉致し、日本海側まで陸路で運ばれたとすれば、どのようなルートか」だった。
ヒントは、現地での聞き込み調査でみつかった。
「ここは水あめの産地で、在日朝鮮人の人々が多く従事していたんですよ」
現地調査の際、地元住民はこう説明したという。水あめは焼酎の味付けのため、日本海側から北朝鮮へ輸出されていた。そして、それらを日本海側まで運んだルートが「大町ルート」だった。
千葉を起点に東京や埼玉、山梨、ルート名ともなった長野・大町を経て、糸魚川付近で新潟、富山に分かれる。
新潟港は北朝鮮の貨客船、万景峰号が入港していたことで知られ、富山の氷見港にも、北朝鮮との間を往復する貨物船が頻繁に出入りしていた。
調査会の真鍋貞樹副代表は「(『大町ルート』を使って)新潟、富山の在日朝鮮人が食肉や海産物などを車で運んでいた。ルート周辺には在日の人々が多く居住する地域もあり、大切なルートだっだ」と解説する。
北陸から新潟にかけての日本海側には、工作員の上陸ポイントが多数設定されていた。
「そこには工作員をかくまったりする『土台人』と呼ばれる協力者がいたはずだ」。拉致問題に取り組む関係者はそう指摘する。
在日朝鮮人らの中で工作員に目をつけられた人々が、北朝鮮にいる親族の安全と引き換えに工作活動への協力を強要されたことは、これまでの拉致事件の捜査や韓国での公判の内容で明らかになっている。
調査会によると、失踪者が行方不明となった現場が大町ルート上に重なるケースは、約150件にも上るという。
これは、調査会に情報が寄せられている失踪者約470人の約3割に達し、「偶然の一致」とするには確かに多すぎる。現場は関東に集中しているが、ルート途中の地方にも、失踪ポイントは多く点在する。
「このルートで拉致被害者が運ばれた可能性は捨てきれない」
真鍋副代表はそう語る。
調査会には、その“実証例”ともいえる証言が寄せられたこともあった。
■「青年を新潟に運ぶのを手伝った」…ルートと符合する証言
平成16年10月末、調査会に一本の電話が入った。
「(千葉県内にある)病院の関連施設から新潟に運ぶのを手伝わされた。調査会が発表したあの青年だ。藤田さんだよ」
男は当時60歳ぐらい。北朝鮮と関係が深いとされる都内の病院関係者の運転手をしていたと自称したという。
調査会は電話に先立つ同年8月、昭和51年2月に埼玉県川口市の自宅からガードマンのアルバイトに行くと出かけたまま失跡した東京学芸大生、藤田進さん=同(19)=について、「拉致濃厚」と発表していた。
調査会は男と接触を重ねた。
「山梨を通って日本海側で富山方面に分かれる所から新潟へ行き、万景峰号に乗せた」「(藤田さんは)泣いていた」…。
男はそう証言した。警視庁にも「藤田さんの拉致にかかわった」という趣旨の供述をしたという。その“拉致”ルートは、まさに「大町ルート」そのものだった。
「だが…」と、真鍋副代表はトーンを落としながら言葉を続ける。
「残念ながら、男の話の信憑(しんぴょう)性を裏付けるものは何もない。『大町ルート』はあくまでも仮説にとどまっている」
古い話であり、警察の捜査でも、男の証言内容を今確認するのは不可能に近いためだ。
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.