Re: 田母神氏の主張に欠けているもの、横
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2008/11/03 03:07 投稿番号: [43435 / 73791]
>1928年から29年前半にかけては日本には英米協調路線へと回帰する選択肢が残されていたのです。これを目に見える形でぶち壊したのが満州事変と政府による追認です。ワシントン体制と呼ばれたものは崩壊しました。
すでに43432などで述べたように、ぶち壊したのはむしろ米だと思います。張作霖事件、満州事変などはシナの暴虐、それを容認支援する米、そして世界恐慌などの状況下でのまあ止むにやまれぬ反応、行動だったのではないでしょうか。それを暴走と言うならそうも言えるということでしょう。(特に盧溝橋以後)功名心に駆られた軍人指導者もいたでしょうが、あのような状況がなければ彼らも暴走のしようがなかったのではないでしょうか。
>そもそもシナ駐屯軍が5,000人も存在すること自体がおかしいのです。本来の駐屯理由は大・公使館警備の筈であり、1930年代半ばに5,000人もの軍隊を駐屯させること事態が英米中の猜疑心と警戒感を惹きだすのです。
5000人が多いか少ないかはそのときの状況によるのではないでしょうか。当然公使館警備だけが駐屯理由ではないですね。侮日反日抗日運動が高まっていた満州、シナ。在留邦人、工場、ビジネス。
これは メッセージ 43409 (uberzeitgeist さん)への返信です.
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