Re: 田母神氏の主張に欠けているもの
投稿者: uberzeitgeist 投稿日時: 2008/11/02 20:48 投稿番号: [43409 / 73791]
tokagenohesoさん
こんばんわ
いろいろな方の意見や指摘を拝見し改めて自分の考えを整理し、また、年表・歴史書を引っ張りだし読み直しました。お蔭でいい勉強になりました。
英米協調路線回帰の可能性について
1928年当時、田中義一内閣は二つの路線を模索していたと思います。一つは英米協調路線であり、一つは対中国強硬・独自路線です。
前者の現われが1928年8月の不戦条約調印であり、後者が張作霖事件の責任者を軽い処分にしたこと(1929年7月)に現れています。
これはその後の出先軍部の勝手な振る舞いを許すこととなり1931年の満州事変へと繋がっていきます。
1928年から29年前半にかけては日本には英米協調路線へと回帰する選択肢が残されていたのです。これを目に見える形でぶち壊したのが満州事変と政府による追認です。ワシントン体制と呼ばれたものは崩壊しました。
盧溝橋事件以後について
そもそもシナ駐屯軍が5,000人も存在すること自体がおかしいのです。本来の駐屯理由は大・公使館警備の筈であり、1930年代半ばに5,000人もの軍隊を駐屯させること事態が英米中の猜疑心と警戒感を惹きだすのです。
その軍隊が盧溝橋において中国の軍と小競り合いになり、これ事態は局部的に収めることができた事件です。
その中国に日本本土から初めは3個師団その後合計16個師団もの軍を出兵することの合理的理由がありません。停戦監視・邦人保護というのは理由になりません。
その後あっという間に戦火が拡大し収拾の仕様がなくなってしまいます。
他国に合理的理由なく大量の軍隊を派遣し戦争することを侵略というのではありませんか。これは自衛のための戦争とはいえません。明らかに不戦条約違反です。ただ日本を制裁する意思が当時の欧米になかっただけのことです。
仮に立場を引っくり返して、日本領である朝鮮に中国の軍隊がその民衆の保護と称し何個師団もの軍を派遣し日本軍と戦闘した場合、これは中国による侵略なのではありませんか。
蒋介石が挑発したとしてもそれに乗りのこのこ出掛けていった日本が愚かなのです、何の考えも準備も戦略もなしに。
これは メッセージ 43392 (tokagenoheso さん)への返信です.
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