韓国人の反日の背景
投稿者: k_g_y_007_naoko 投稿日時: 2008/08/08 00:49 投稿番号: [36977 / 73791]
投稿者:直子
私がこのトピに最近投稿したものに、なぜ韓国の人は反日にこだわるのか、とうい問題を取り上げています。他にも色々な方のブログや研究にも取り上げられています。
<再掲>
古代史はおもしろいですね。朝鮮人と日本人の形成には、似て非なる部分がありそうです。
日本は、四方を海という天然の要塞に囲まれていますから、人口が増え勢力がつくと、さして外敵の侵入(元寇を除く)に悩まされることもなく、特に仏教の伝来以降は、独自の文化を開花させてきました。逆に朝鮮半島に進出していたぐらい^^。 一方、朝鮮半島はどうだったんでしょうか? 大陸と地続きという面もあって、南からだけではなく、大陸での戦いに敗れて逃れてきた人々や北方異民族による侵入が繰り返し行なわれてきていたようです。朝鮮半島を最初に統一したのは新羅人ですけど、その後も大変。ですから、韓国で主張されている、韓国人はかって大陸の大部分に進出し、支配していた民族の末裔だと言うのは、視角が逆ですわね。逃れてきた民族ですね。李氏朝鮮もそうですわね。
弥生・古墳時代頃までの朝鮮の概況
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2008/07/000563.html
古代朝鮮・韓民族の形成とニッポン
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-52.html
▼朝鮮人と日本人
朝鮮人というのも、日本人と同じくらい形成過程に不明な点が多い謎の民族である。ともに、北方的なるものと南方的なるものとの狭間で、両者のせめぎ合いと融合の末に出来上がった国である。日本にも今でも東西(あるいは南北)で民俗や生活様式などに相違が残るが、朝鮮ではそれどころか南北は国境線で分かたれている。この「北緯38度線」は、古代の形勢、すなわち北の高句麗と南の韓族の三国家を彷彿とさせるものである。喩えて言えばだが、今なお北方的なるもの(旧ソ連と中国)と南方的なるもの(日本と「南蛮」米)との狭間にあるかのようだ。
朝鮮半島では「南北統一」がいま盛んに語られているが、これは新羅による七世紀の国土統一以降、一千年以上唱えられてきた「国土・民族・主権の統合や自己回復」の民族的スローガンの一変種との見方もできる。朝鮮史は、ツングース系契丹族の遼やモンゴル族の元など北方異民族の侵入や支配、そうでないときは宗主国・中国への臣従と、南方からの倭寇や秀吉の侵略、とどめに日韓併合と朝鮮戦争などと、幾多の「自己喪失」で満たされている。
日本は今でこそ東西に分かたれてはいないが、古代には畿内の西日本政権に対し、東日本は「蝦夷」であり「日本」ではなかった。鎌倉幕府は当初、東日本政権だったし、江戸幕府も関東基盤の政権であった。東西の自然環境の違いが双方の農耕や産業のスタイルをたがえ、そこに適応した生活様式が生まれ、方言や民俗そして感性や思考の違いを生じさせたのであろう。しかしそれだけだろうか。現に、日本化が最も遅れた地域の「日本人」である北海道のアイヌ人と沖縄の琉球人には、本州日本人との文化的差異ばかりではなく、遺伝学的な微妙な差異すら指摘されている。
↓
>朝鮮史は、ツングース系契丹族の遼やモンゴル族の元など北方異民族の侵入や支配、そうでないときは宗主国・中国への臣従と、南方からの倭寇や秀吉の侵略、とどめに日韓併合と朝鮮戦争などと、幾多の「自己喪失」で満たされている。
↑
ここに凝縮されているように思います。確かに米国の占領政策は、最初に「米国の利益ありき、米国の安全ありき」でしたから、かなり強引だったと聞いています。でも東西冷戦が始まり、日本や韓国を太平洋の防共の盾にする方針に変わりました。このためには、台湾やフィリピン、南ベトナムなど、多くの国に米軍が駐留する必要がありました。でも、ご存知のように、現在に至るまで米軍が駐留できている国は、日本と韓国だけです。ベトナムは米国が支援すべき、支持すべき人物を間違えてしまいましたわね。フィリピンもそうですわね。そして韓国もそうです。李承晩を選んでしまいました。彼の偏屈さと貪欲な権力欲、そして反日は異常なまでで、米ソの対峙以外にも、朝鮮半島の南北の分裂の原因は李承晩の性格にかなり起因すると考えられています。やがて軍事政権が終焉したのと、東西冷戦の終了、韓国人一般の性、さらに地理的な条件から、米国はより信頼できるパートナーである日本に太平洋の安全保障体制をシフトしました。第二次世界大戦後、米軍の駐留が成功した国は、皮肉にもこの大戦で米国と悲惨な戦闘を繰り広げたドイツと日本だったわけです^^; これも民度の下地の違いと考えます^^
私がこのトピに最近投稿したものに、なぜ韓国の人は反日にこだわるのか、とうい問題を取り上げています。他にも色々な方のブログや研究にも取り上げられています。
<再掲>
古代史はおもしろいですね。朝鮮人と日本人の形成には、似て非なる部分がありそうです。
日本は、四方を海という天然の要塞に囲まれていますから、人口が増え勢力がつくと、さして外敵の侵入(元寇を除く)に悩まされることもなく、特に仏教の伝来以降は、独自の文化を開花させてきました。逆に朝鮮半島に進出していたぐらい^^。 一方、朝鮮半島はどうだったんでしょうか? 大陸と地続きという面もあって、南からだけではなく、大陸での戦いに敗れて逃れてきた人々や北方異民族による侵入が繰り返し行なわれてきていたようです。朝鮮半島を最初に統一したのは新羅人ですけど、その後も大変。ですから、韓国で主張されている、韓国人はかって大陸の大部分に進出し、支配していた民族の末裔だと言うのは、視角が逆ですわね。逃れてきた民族ですね。李氏朝鮮もそうですわね。
弥生・古墳時代頃までの朝鮮の概況
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2008/07/000563.html
古代朝鮮・韓民族の形成とニッポン
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-52.html
▼朝鮮人と日本人
朝鮮人というのも、日本人と同じくらい形成過程に不明な点が多い謎の民族である。ともに、北方的なるものと南方的なるものとの狭間で、両者のせめぎ合いと融合の末に出来上がった国である。日本にも今でも東西(あるいは南北)で民俗や生活様式などに相違が残るが、朝鮮ではそれどころか南北は国境線で分かたれている。この「北緯38度線」は、古代の形勢、すなわち北の高句麗と南の韓族の三国家を彷彿とさせるものである。喩えて言えばだが、今なお北方的なるもの(旧ソ連と中国)と南方的なるもの(日本と「南蛮」米)との狭間にあるかのようだ。
朝鮮半島では「南北統一」がいま盛んに語られているが、これは新羅による七世紀の国土統一以降、一千年以上唱えられてきた「国土・民族・主権の統合や自己回復」の民族的スローガンの一変種との見方もできる。朝鮮史は、ツングース系契丹族の遼やモンゴル族の元など北方異民族の侵入や支配、そうでないときは宗主国・中国への臣従と、南方からの倭寇や秀吉の侵略、とどめに日韓併合と朝鮮戦争などと、幾多の「自己喪失」で満たされている。
日本は今でこそ東西に分かたれてはいないが、古代には畿内の西日本政権に対し、東日本は「蝦夷」であり「日本」ではなかった。鎌倉幕府は当初、東日本政権だったし、江戸幕府も関東基盤の政権であった。東西の自然環境の違いが双方の農耕や産業のスタイルをたがえ、そこに適応した生活様式が生まれ、方言や民俗そして感性や思考の違いを生じさせたのであろう。しかしそれだけだろうか。現に、日本化が最も遅れた地域の「日本人」である北海道のアイヌ人と沖縄の琉球人には、本州日本人との文化的差異ばかりではなく、遺伝学的な微妙な差異すら指摘されている。
↓
>朝鮮史は、ツングース系契丹族の遼やモンゴル族の元など北方異民族の侵入や支配、そうでないときは宗主国・中国への臣従と、南方からの倭寇や秀吉の侵略、とどめに日韓併合と朝鮮戦争などと、幾多の「自己喪失」で満たされている。
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ここに凝縮されているように思います。確かに米国の占領政策は、最初に「米国の利益ありき、米国の安全ありき」でしたから、かなり強引だったと聞いています。でも東西冷戦が始まり、日本や韓国を太平洋の防共の盾にする方針に変わりました。このためには、台湾やフィリピン、南ベトナムなど、多くの国に米軍が駐留する必要がありました。でも、ご存知のように、現在に至るまで米軍が駐留できている国は、日本と韓国だけです。ベトナムは米国が支援すべき、支持すべき人物を間違えてしまいましたわね。フィリピンもそうですわね。そして韓国もそうです。李承晩を選んでしまいました。彼の偏屈さと貪欲な権力欲、そして反日は異常なまでで、米ソの対峙以外にも、朝鮮半島の南北の分裂の原因は李承晩の性格にかなり起因すると考えられています。やがて軍事政権が終焉したのと、東西冷戦の終了、韓国人一般の性、さらに地理的な条件から、米国はより信頼できるパートナーである日本に太平洋の安全保障体制をシフトしました。第二次世界大戦後、米軍の駐留が成功した国は、皮肉にもこの大戦で米国と悲惨な戦闘を繰り広げたドイツと日本だったわけです^^; これも民度の下地の違いと考えます^^
これは メッセージ 1 (may7idaho さん)への返信です.