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Re:明治の遺産を食いつぶしている

投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/08/13 15:18 投稿番号: [357 / 73791]
白洲正子の名は知っていたが次郎のことは知らなんだ。

明治の遺産を食いつぶしているとは半分思いつきで言ったことだが、白洲次郎の家系をみるとあたらずといえども遠からずの感がある。吉田茂とともに贅沢ザんまい(次郎は親が破産したあとも金遣いが荒かった)の生活だったらしい。

白洲退蔵は白洲次郎の爺さまのようだが、吉田松陰の同時代人だったらしい。経歴が松蔭とちょっと似ているところもあるが命を投げ出してもという一途実直なところがないようだ。退蔵が松蔭のようにバカ正直だったら次郎はなかったかもしれない。

>白洲退蔵(1829―1891)

三田藩儒官白洲家に生まれる

白洲退蔵 は1829年(文政十二年)七月十五日、三田に生まれている。 白洲家は代々藩の儒官であり、父の文五郎は当時、藩校造士館教授を務め ていた。
退蔵は1845年(弘化二年)、藩から勤学料として年十両を 与えられ、大坂の儒者篠崎小竹 (1781―1851、寛政の 三博士の一人である古賀精里の弟子。)について学び、後、江戸 の古賀謹堂(1816―84、古賀精里の孫。幕府の外交に従事 した。)について儒学を修めた。三田に帰ってからは、父の後を 継いで造士館教授に就任し、1860年(安政七年)、百三十石 を与えられている。
彼は1854年(安政元年)一月十五日、藩命を受け、浦賀沖に 来航した黒船に庶民の姿に変装して近づき情報収集を行っている。
当時、このような行動が見つかれば相当の刑罰を覚悟せねばなら なかったことだろう。吉田松陰の場合は、ただ単に黒船を見るだけ でなく海外渡航を図ったのだが、余りの計画性のなさに当然のよう に発見され、牢屋に幽閉されている。
他の藩でも隠密裏に情報収拾をした話は残されている(例えば松代 藩では佐久間象山を派遣している。)が、山奥の小藩である三田藩 が独自に情報収集を行なったということは実に驚きである。
http://www.nogami.gr.jp/rekisi/sandanorekisi/24_sirasu/sirasu.html
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