Re: 日本企業の過信 (日韓文化比較) 1
投稿者: kirameku7umi 投稿日時: 2007/11/21 10:03 投稿番号: [26482 / 73791]
>>認識不足もいいところだ。
>こりゃお前だろ、ボケ!
脊髄までしか神経が通っていない下等生物らしい模範的返事で、すばらしい(笑い)。
ただし、無頭児の相手をするのは今回限りだ。IDの再登録をしたのは、731部隊の史料について知りたかったからだが、つい、ナメクジの親類にちょっかいを出したことを後悔している(笑い)。
これまた、以前に書いたものだが、脊髄の能力をフル活動して日本人と朝鮮人の違いを真摯に学べ。
当時の技術を集めた精密機械といえば、時計に代表されることだろう。
ヨーロッパから時計が最初にもたらされたのは、文献によると天文20年(1551年)フランシスコ・ザビエルが、大内義隆に献上したのが最初とされる。また現存する最古のものはメキシコから献上されたスペイン王フェリッペ2世の時計師の銘のある枕時計で、家康に贈られている。
当時アジアに来たヨーロッパ大使は、精密機械の粋を集めた時計を日本だけでなく、中国や朝鮮にも贈ってヨーロッパの技術力を誇示したようだ。
面白いのは、その時計が朝鮮からも家康に送られたが、この時計は、壊れていて(故障の経緯は不明)、安芸出身の津田助左衛門が修理し、同時に同じものをもう一つ造ったという記述があることだ。
つまり、当時の日本でもヨーロッパの技術の粋を集めて造られた時計ぐらいは、いとも簡単に製造できる技術力と人材があったということに他ならない。
しかし日本では、ヨーロッパ式の定時法による時計は使われようとしなかった。その理由は、日本が季節の変化によって昼夜の時間の長さが変わる「不定時法」を採用していて、それが日本の農業に適していたことによる。
そこで登場したのが、世界でも類をみない巧妙な時計「不定時時計(和時計)」である。それはヨーロッパの時計より複雑な機構を備えていた。
以下、和時計の技術が日本の精密工業にはたした役割を、山本七平氏の著書から引用して見たい。
『当時の時計は「自鳴鐘」といわれたように、時打時計であったから、日常に使えるには「明け六つ」に六つ鐘打ち、「繰れ六つ」に同じように六つを打ってくれないとこまる。というのは時計の針の速度を朝夕で調整し、同時に季節によって調整しなければならない。
だがこの二重の調整は誰が考えても甚だ複雑なことである。この煩雑なことを自動的に行う方法がないものか、と考えたことが、おそらく世界でも珍しい「不定時法時計」すなわち「和時計」の始まりである。』
この世界で唯一の、最高の技術水準に達した「不定時法時計」も、やがって押し寄せてくる欧米の工業化の波に飲まれてしまう。明治政府は太陽暦と定時法を採用し、同時にすでに「工場生産」の時代に入っているアメリカのボンボン時計が、無関税に等しい状態で日本に入ってきたからだ。
これは メッセージ 26428 (nakws6 さん)への返信です.
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