この、お二人の受賞は、特に素晴らしいです
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/10/12 11:10 投稿番号: [23956 / 73791]
narurinさん、こんにちは。
>ノーベル賞が取れないのは、その血、または、DNAに刻まれた、こらえ性の無さであることに言及しないのも、かの国ならではだと思います。物事は、正しく顧みてこそ力になります。歴史すら正視できないのでは、今後も、顧みる力は、彼らのモノにはなりますまい。
一生、ノーベル賞に憧れ、手も届かずに生きていく。ノーベル賞は、あくまでも結果。望んで取りに行くモノではないのですが。分からないのでしょうね。哀れですね。<
日本人を母に持つペターセン氏は、
『ノーベル化学賞受賞者の中では珍しい博士号を持たない人物』
『化学論文の中でも最も偉大な論文のひとつとみなされている』
田中耕一氏は、
『「博士の学位」「修士の学位」「専門職学位」を保持しないノーベル賞受賞者は、田中耕一のみ』。
こういう方々が報われているのは、科学分野のノーベル賞の素晴らしさですね。
お二人とも、そして、殆どすべての受賞者は、ノーベル賞を獲るために研究していたわけではない、そういう点を見栄っ張りの韓国人が理解する日がやってくるとは思えませんね。
>チャールズ・ジョン・ペダーセン(Charles John Pedersen, 1904年10月3日 - 1989年10月26日)韓国釜山出身の化学者。父親はノルウェー人で母親は日本人ヤスイ・タキノ。ノルウェー国籍だが日本名として良男(よしお)という名を持つ。
幼少時を韓国、日本で過ごし横浜のインターナショナルスクール、セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジに学んだ後、化学を学ぶため、1922年にアメリカに渡った。デイトン大学(University of Dayton)で学位を得た後、マサチューセッツ工科大学(MIT)で修士課程を修了した。
MITの教授らは大学に残り博士課程を修めるよう薦めたが、父親から学資を受け続ける生活を嫌ったペダーセンは実務の世界に移った。この決断から数十年後にペダーセンはノーベル化学賞を受賞することとなるのだが、こうした経緯から、ノーベル化学賞受賞者の中では珍しい博士号を持たない人物ということになった。
1927年、デュポン社で研究員として働き始め、65歳で退職するまで、42年間にわたって同社に奉職した。
クラウンエーテルと命名されたリング状の分子が安定した構造を持つ金属イオンなど電荷を持ったイオンを捕らえる性質を持つことを明らかにした。
この発見は超分子化学研究の礎を築き、この論文は今日では化学論文の中でも最も偉大な論文のひとつとみなされている。<
>田中 耕一(たなか こういち、1959年8月3日 - )肖像 は、日本の化学者・エンジニアである。株式会社 島津製作所勤務。2002年ノーベル化学賞受賞。受賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」。島津製作所に勤める会社員であり、会社員のノーベル賞受賞として日本国内で話題となった。同年文化勲章受章、文化功労者となる。称号は、「京都市名誉市民」、「東北大学名誉博士」。
2007年時点で、化学分野において、「博士の学位」「修士の学位」「専門職学位」を保持しないノーベル賞受賞者は、田中耕一のみである。なお博士の学位を保持しない同賞受賞者としては、チャールズ・ペダーセン(日系人)についで2番目である。<
>ノーベル賞が取れないのは、その血、または、DNAに刻まれた、こらえ性の無さであることに言及しないのも、かの国ならではだと思います。物事は、正しく顧みてこそ力になります。歴史すら正視できないのでは、今後も、顧みる力は、彼らのモノにはなりますまい。
一生、ノーベル賞に憧れ、手も届かずに生きていく。ノーベル賞は、あくまでも結果。望んで取りに行くモノではないのですが。分からないのでしょうね。哀れですね。<
日本人を母に持つペターセン氏は、
『ノーベル化学賞受賞者の中では珍しい博士号を持たない人物』
『化学論文の中でも最も偉大な論文のひとつとみなされている』
田中耕一氏は、
『「博士の学位」「修士の学位」「専門職学位」を保持しないノーベル賞受賞者は、田中耕一のみ』。
こういう方々が報われているのは、科学分野のノーベル賞の素晴らしさですね。
お二人とも、そして、殆どすべての受賞者は、ノーベル賞を獲るために研究していたわけではない、そういう点を見栄っ張りの韓国人が理解する日がやってくるとは思えませんね。
>チャールズ・ジョン・ペダーセン(Charles John Pedersen, 1904年10月3日 - 1989年10月26日)韓国釜山出身の化学者。父親はノルウェー人で母親は日本人ヤスイ・タキノ。ノルウェー国籍だが日本名として良男(よしお)という名を持つ。
幼少時を韓国、日本で過ごし横浜のインターナショナルスクール、セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジに学んだ後、化学を学ぶため、1922年にアメリカに渡った。デイトン大学(University of Dayton)で学位を得た後、マサチューセッツ工科大学(MIT)で修士課程を修了した。
MITの教授らは大学に残り博士課程を修めるよう薦めたが、父親から学資を受け続ける生活を嫌ったペダーセンは実務の世界に移った。この決断から数十年後にペダーセンはノーベル化学賞を受賞することとなるのだが、こうした経緯から、ノーベル化学賞受賞者の中では珍しい博士号を持たない人物ということになった。
1927年、デュポン社で研究員として働き始め、65歳で退職するまで、42年間にわたって同社に奉職した。
クラウンエーテルと命名されたリング状の分子が安定した構造を持つ金属イオンなど電荷を持ったイオンを捕らえる性質を持つことを明らかにした。
この発見は超分子化学研究の礎を築き、この論文は今日では化学論文の中でも最も偉大な論文のひとつとみなされている。<
>田中 耕一(たなか こういち、1959年8月3日 - )肖像 は、日本の化学者・エンジニアである。株式会社 島津製作所勤務。2002年ノーベル化学賞受賞。受賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」。島津製作所に勤める会社員であり、会社員のノーベル賞受賞として日本国内で話題となった。同年文化勲章受章、文化功労者となる。称号は、「京都市名誉市民」、「東北大学名誉博士」。
2007年時点で、化学分野において、「博士の学位」「修士の学位」「専門職学位」を保持しないノーベル賞受賞者は、田中耕一のみである。なお博士の学位を保持しない同賞受賞者としては、チャールズ・ペダーセン(日系人)についで2番目である。<
これは メッセージ 23951 (narurin さん)への返信です.