>三跪九叩頭「屈辱の石碑」の数奇な運命
投稿者: parmesan100cheese 投稿日時: 2007/07/24 13:10 投稿番号: [20302 / 73791]
☆石碑、一回目の破壊、埋められる・・・・・・・・・・
1895年
下関条約によって、日本から独立を与えられた朝鮮で、高宗が真っ先にやった事は、石碑を三跪九叩頭の礼で清の使者を迎えた迎恩門と一緒に破壊して埋めた。
☆石碑、一回目の復活・・・・・・・・・・
しか〜し、1913年、朝鮮史を整備しようとした日本の関係者によって発掘され、再び元の場所に建てられる。
☆石碑、二回目の破壊、埋め立て・・・・・・・・・・・・・
そして、1945年、李承晩政権によって、再び土台と石碑を分解し、引き倒して川のそばに埋められた。
☆石碑、二回目の復活(このあたりから、完全に因縁話になって呪い説がまことしやかに)・・・・・・・・・・・・・・・・
しか〜し、1963年の大洪水で再び、姿を現した。綺麗に洗われたように元の姿を現し、まるで置いてあるように、地上に再登場。
怖くなった関係者が再々々建立、巫女も呼んで、慰霊儀式。<
三回目の破壊、埋め立ても近いね。
また、復活するんだろうが。
>「中国に関する“恥辱的な歴史”は消すべき」<
発想は、まったく変わらない。
なかったふりをしたいらしい。
>中国に仕返し?
三田渡碑にスプレーで落書き
史跡第101号に指定されている「三田渡碑」(ソウル市松坡区石村洞)にスプレーがかけられた。
三田渡碑は丙子の乱(1636年に起きた清による第2回朝鮮侵略)の際、朝鮮が清に敗れた後、清の太宗の要求により彼をたたえる言葉を刻んだ石碑で、「大清皇帝功徳碑」と書かれている。
この高さ3.95メートル、幅1.4メートルの石碑の前面と裏面に1メートルほどの大きさで「撤」「去」という文字が赤のスプレーで書かれているのが発見された。
「撤」の字の下には「370」というアラビア数字が書かれている。丙子の乱が起きた1636年か、三田渡碑が立てられた1639年から現在までの年数を示しているものと思われる。
ソウル市松坡区庁のパク・チュンファ文化財チーム長は「今月5日朝に三田渡碑周辺を掃除しようとした公益要員が発見した。日曜日だった4日夜にスプレーで書かれたようだ」と話している。
犯人はまだ捕まっていないが、松坡区庁関係者らは、最近の中国との「歴史摩擦」に激怒し、「中国に関する“恥辱的な歴史”は消すべき」という意味でスプレーをかけたものとみている。<
http://www.chosunonline.com/article/20070208000006
これは メッセージ 20300 (toriaezuitteokou さん)への返信です.
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