三跪九叩頭「屈辱の石碑」の数奇な運命
投稿者: toriaezuitteokou 投稿日時: 2007/07/24 12:45 投稿番号: [20300 / 73791]
この石碑の数奇な運命は、崔基鎬氏などの著書に、詳しく出てますよ〜。
石碑の建立。
当時の清、皇帝ホンタイジは、朝鮮以外のどの属国にもこんな石碑の建立、屈辱的な儀式は、求めたこともないそうで、ただの一度も戦うこともなく、簡単に蹂躙されて、したい放題されたのに、朝鮮側が「文化は我らの方が上だ、何故なら明の第一の属国だったから」と夜郎自大な態度を改めなかったから。
モンゴル人からみたら、最高にいけすかないやつだったんでしょうね。┐(-。ー;)┌
要するに、弱くて臆病なくせに、口だけはでかいという朝鮮人が招いた自業自得の記念碑(笑)。
☆石碑の誕生 1636年・・・・・・・・・・・・・・
後金は愛新覚羅皇太極が皇帝を称し、国号を清と変更、朝鮮に対して朝貢及び明への派兵を要求。
愛新覚羅皇太極は朝鮮を攻撃し僅か4日で王宮、首府に到着、5日目に主要な地点すべてを包囲。朝鮮側は抵抗すらせず、ひたすら逃走。
その間、朝鮮女性ら十万人以上が、清兵らの奴隷狩りの犠牲に。
朝鮮王の降伏前から、女子らの奴隷輸送が始まり、数ヶ月にわたった奴隷輸送は、その総数は記録にあるだけで、五十万人以上!
朝鮮王仁祖は三田渡で、皇太極に対し三跪九叩頭
(「跪」の号令で跪き、
「一叩」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける
「二叩」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける
「三叩」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける
これを3回繰り返すので、合計9回、手を地面につけ、額を地面に打ち付ける)
の礼を以って命乞いをし清への朝貢と清からの冊封、明との断交、朝鮮王子を人質に差し出す、膨大な賠償金など屈辱的な講和をして清皇帝を公認した。
☆石碑、一回目の破壊、埋められる・・・・・・・・・・
1895年
下関条約によって、日本から独立を与えられた朝鮮で、高宗が真っ先にやった事は、石碑を三跪九叩頭の礼で清の使者を迎えた迎恩門と一緒に破壊して埋めた。
(この時、割って砕こうとしたが、朝鮮には石や岩を掘ったり砕いたりする技術も職人もなく、諦めた(笑))
☆石碑、一回目の復活・・・・・・・・・・
しか〜し、1913年、朝鮮史を整備しようとした日本の関係者によって発掘され、再び元の場所に建てられる。
モンゴル、満州語、漢語、三語によって書かれた貴重な歴史的資料だから。
☆石碑、二回目の破壊、埋め立て・・・・・・・・・・・・・
そして、1945年、李承晩政権によって、再び土台と石碑を分解し、引き倒して川のそばに埋められた。この時も破壊しようとしたが、日本人の石工、爆破技術者が帰国していたため、断念(笑)。
☆石碑、二回目の復活(このあたりから、完全に因縁話になって呪い説がまことしやかに)・・・・・・・・・・・・・・・・
しか〜し、1963年の大洪水で再び、姿を現した。綺麗に洗われたように元の姿を現し、まるで置いてあるように、地上に再登場。
怖くなった関係者が再々々建立、巫女も呼んで、慰霊儀式。
2回も甦った不死身の石碑 怪物 大清皇帝功徳碑。L(・o・)」
ただ、逃げ回るだけだった朝鮮王。
その陰で、男の殆どが殺され、女性は数十万人が清軍兵士らの奴隷として連れ去られた。
その呪いか?
石碑の建立。
当時の清、皇帝ホンタイジは、朝鮮以外のどの属国にもこんな石碑の建立、屈辱的な儀式は、求めたこともないそうで、ただの一度も戦うこともなく、簡単に蹂躙されて、したい放題されたのに、朝鮮側が「文化は我らの方が上だ、何故なら明の第一の属国だったから」と夜郎自大な態度を改めなかったから。
モンゴル人からみたら、最高にいけすかないやつだったんでしょうね。┐(-。ー;)┌
要するに、弱くて臆病なくせに、口だけはでかいという朝鮮人が招いた自業自得の記念碑(笑)。
☆石碑の誕生 1636年・・・・・・・・・・・・・・
後金は愛新覚羅皇太極が皇帝を称し、国号を清と変更、朝鮮に対して朝貢及び明への派兵を要求。
愛新覚羅皇太極は朝鮮を攻撃し僅か4日で王宮、首府に到着、5日目に主要な地点すべてを包囲。朝鮮側は抵抗すらせず、ひたすら逃走。
その間、朝鮮女性ら十万人以上が、清兵らの奴隷狩りの犠牲に。
朝鮮王の降伏前から、女子らの奴隷輸送が始まり、数ヶ月にわたった奴隷輸送は、その総数は記録にあるだけで、五十万人以上!
朝鮮王仁祖は三田渡で、皇太極に対し三跪九叩頭
(「跪」の号令で跪き、
「一叩」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける
「二叩」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける
「三叩」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける
これを3回繰り返すので、合計9回、手を地面につけ、額を地面に打ち付ける)
の礼を以って命乞いをし清への朝貢と清からの冊封、明との断交、朝鮮王子を人質に差し出す、膨大な賠償金など屈辱的な講和をして清皇帝を公認した。
☆石碑、一回目の破壊、埋められる・・・・・・・・・・
1895年
下関条約によって、日本から独立を与えられた朝鮮で、高宗が真っ先にやった事は、石碑を三跪九叩頭の礼で清の使者を迎えた迎恩門と一緒に破壊して埋めた。
(この時、割って砕こうとしたが、朝鮮には石や岩を掘ったり砕いたりする技術も職人もなく、諦めた(笑))
☆石碑、一回目の復活・・・・・・・・・・
しか〜し、1913年、朝鮮史を整備しようとした日本の関係者によって発掘され、再び元の場所に建てられる。
モンゴル、満州語、漢語、三語によって書かれた貴重な歴史的資料だから。
☆石碑、二回目の破壊、埋め立て・・・・・・・・・・・・・
そして、1945年、李承晩政権によって、再び土台と石碑を分解し、引き倒して川のそばに埋められた。この時も破壊しようとしたが、日本人の石工、爆破技術者が帰国していたため、断念(笑)。
☆石碑、二回目の復活(このあたりから、完全に因縁話になって呪い説がまことしやかに)・・・・・・・・・・・・・・・・
しか〜し、1963年の大洪水で再び、姿を現した。綺麗に洗われたように元の姿を現し、まるで置いてあるように、地上に再登場。
怖くなった関係者が再々々建立、巫女も呼んで、慰霊儀式。
2回も甦った不死身の石碑 怪物 大清皇帝功徳碑。L(・o・)」
ただ、逃げ回るだけだった朝鮮王。
その陰で、男の殆どが殺され、女性は数十万人が清軍兵士らの奴隷として連れ去られた。
その呪いか?
これは メッセージ 20277 (yokokaratatehe さん)への返信です.