ハングル世代は、どこからも学ばない
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/05/06 18:59 投稿番号: [17165 / 73791]
>> このトピは、韓国の人のためのトピですよ。
↑
こんなことが理解できるようなら...<
まぁ、日本語はおろか英語もアジア最低の韓国人ですから、漢字も日本語も読めない分からない人ばかりで、このトピを読む可能性もないでしょうが。
トピの最初の頃に書いて説明しているのですが、このトピは100%、日本人のためにやってます。
個人的には、朝鮮にも韓国にも、まったく、かけらも興味はありません。
韓国の再破綻、事実上の消滅によって、日本人に迷惑がかからないように、少しでも実態を広め知らせる、それから、日韓の経済問題について、あまりにも誤解が多いので、その説明のために開きました。
韓国人が読んで、結果的に学ぶかどうか?
ないと思いますよ。ハングル世代は、日本から学ぶ気なんてないですよ。驚くほど、信じられないほど、実態も根拠も伴わない自信で満ちあふれていて、foxbatteさんが表現した通り『脳内麻薬漬け』状態ですから。
その好例
『韓国の読者がこの本を一読すると、非常に不愉快な気分にさせられるはずだ。
「日本の統治に抵抗した朝鮮人らのうち、多くの人々が日常生活では日本のライフスタイルに適応し、
自ら収奪の手先と非難していた三中井や三越でショッピングを楽しんでいた」という下りは、
そのまま見過ごすことのできない問題を抱えている。』
何を訳の分からない事を(笑)。抵抗なんて書き記すほどのものは何もなく、愚劣な高宗や閔妃から、やっと解放されて、暗黒時代から脱出出来たと喜んで暮らしていたのが実態。
台湾同様に、ごく普通に、平和で暮らしやすかった日本統治時代を懐かしめばいいものを(笑)。
こんなひねくれた事を言っている限り、歴史から学ぶ事も、何度もやってる経済破綻から学ぶ事も決してないでしょうね。
『幻の三中井百貨店』が韓国人に問いかけるものとは
【新刊】林広茂著(キム・ソンホ訳)『三中井百貨店(原題:幻の三中井百貨店)』
地上6階、地下1階、延建坪2504坪、白亜の威風堂々たるルネサンス様式の建物。1・2階の売り場には化粧品と婦人服、4階は紳士服、5階は家具と電化製品、
6階は貴金属とレストラン。
最新の商品で満たされた華麗なショーウインドーの前には常に客が押し寄せ、大規模な企画セールの際は、足の踏み場もないほどだった。
また、商品券や限定販売、景品に休日営業、夜間延長営業などの様々なマーケティング戦略が次々に打ち出された。
その百貨店とは、1933年から45年まで現在の明洞ミリオレの位置に存在していた三中井百貨店だ。
このうち、朝鮮全域をカバーし、抜きん出て最大規模の流通網を掌握していたのが三中井だった。朝鮮に12の店舗を置き、旧満州や中国にも6店舗を構えていた三中井は、
全盛期には従業員4000人、年間売上高1億円(現在の価値で5000億円)の規模を誇るまさに「百貨店王国」だった。
しかし、1945年の終戦とともに、三中井は痕跡すら残さず消滅してしまった。
中江勝治郎(1872-1944年)をはじめとする創業者4兄弟は、1905年に大邱に小さな呉服店を開いた後、破竹の勢いで企業を拡張していった。
その背景には、日本の滋賀県で活動していた近江商人の特徴である広域化と現実性、倫理性、同族意識、強固な上昇志向と国家志向性があったと著者は説明する。
ところで、韓国の読者がこの本を一読すると、非常に不愉快な気分にさせられるはずだ。
まず著者は、三中井が朝鮮の市場と商業構造に及ぼした悪影響について、まったく関心がない。
さらに、御用商人として帝国主義戦争の軍需物資供給を担当したことを
「成功したマーケティング」と評価し、
「日本の先進文物を朝鮮に伝える懸け橋としての役割」を果たしたのはもちろん、
こうした日本式百貨店経営のノウハウが、現在の新世界・ロッテ・現代をはじめとする韓国有数の百貨店にまで受け継がれたと述べている。
しかし、
「日本の統治に抵抗した朝鮮人らのうち、多くの人々が日常生活では日本のライフスタイルに適応し、自ら収奪の手先と非難していた三中井や三越でショッピングを楽しんでいた」という下りは、そのまま見過ごすことのできない問題を抱えている。
そうした「日常」の微妙さについて、これまできちんと検証することのできなかった韓国近現代歴史学のすき間にこの本は位置しているのだ。』
http://www.chosunonline.com/article/20070506000001
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こんなことが理解できるようなら...<
まぁ、日本語はおろか英語もアジア最低の韓国人ですから、漢字も日本語も読めない分からない人ばかりで、このトピを読む可能性もないでしょうが。
トピの最初の頃に書いて説明しているのですが、このトピは100%、日本人のためにやってます。
個人的には、朝鮮にも韓国にも、まったく、かけらも興味はありません。
韓国の再破綻、事実上の消滅によって、日本人に迷惑がかからないように、少しでも実態を広め知らせる、それから、日韓の経済問題について、あまりにも誤解が多いので、その説明のために開きました。
韓国人が読んで、結果的に学ぶかどうか?
ないと思いますよ。ハングル世代は、日本から学ぶ気なんてないですよ。驚くほど、信じられないほど、実態も根拠も伴わない自信で満ちあふれていて、foxbatteさんが表現した通り『脳内麻薬漬け』状態ですから。
その好例
『韓国の読者がこの本を一読すると、非常に不愉快な気分にさせられるはずだ。
「日本の統治に抵抗した朝鮮人らのうち、多くの人々が日常生活では日本のライフスタイルに適応し、
自ら収奪の手先と非難していた三中井や三越でショッピングを楽しんでいた」という下りは、
そのまま見過ごすことのできない問題を抱えている。』
何を訳の分からない事を(笑)。抵抗なんて書き記すほどのものは何もなく、愚劣な高宗や閔妃から、やっと解放されて、暗黒時代から脱出出来たと喜んで暮らしていたのが実態。
台湾同様に、ごく普通に、平和で暮らしやすかった日本統治時代を懐かしめばいいものを(笑)。
こんなひねくれた事を言っている限り、歴史から学ぶ事も、何度もやってる経済破綻から学ぶ事も決してないでしょうね。
『幻の三中井百貨店』が韓国人に問いかけるものとは
【新刊】林広茂著(キム・ソンホ訳)『三中井百貨店(原題:幻の三中井百貨店)』
地上6階、地下1階、延建坪2504坪、白亜の威風堂々たるルネサンス様式の建物。1・2階の売り場には化粧品と婦人服、4階は紳士服、5階は家具と電化製品、
6階は貴金属とレストラン。
最新の商品で満たされた華麗なショーウインドーの前には常に客が押し寄せ、大規模な企画セールの際は、足の踏み場もないほどだった。
また、商品券や限定販売、景品に休日営業、夜間延長営業などの様々なマーケティング戦略が次々に打ち出された。
その百貨店とは、1933年から45年まで現在の明洞ミリオレの位置に存在していた三中井百貨店だ。
このうち、朝鮮全域をカバーし、抜きん出て最大規模の流通網を掌握していたのが三中井だった。朝鮮に12の店舗を置き、旧満州や中国にも6店舗を構えていた三中井は、
全盛期には従業員4000人、年間売上高1億円(現在の価値で5000億円)の規模を誇るまさに「百貨店王国」だった。
しかし、1945年の終戦とともに、三中井は痕跡すら残さず消滅してしまった。
中江勝治郎(1872-1944年)をはじめとする創業者4兄弟は、1905年に大邱に小さな呉服店を開いた後、破竹の勢いで企業を拡張していった。
その背景には、日本の滋賀県で活動していた近江商人の特徴である広域化と現実性、倫理性、同族意識、強固な上昇志向と国家志向性があったと著者は説明する。
ところで、韓国の読者がこの本を一読すると、非常に不愉快な気分にさせられるはずだ。
まず著者は、三中井が朝鮮の市場と商業構造に及ぼした悪影響について、まったく関心がない。
さらに、御用商人として帝国主義戦争の軍需物資供給を担当したことを
「成功したマーケティング」と評価し、
「日本の先進文物を朝鮮に伝える懸け橋としての役割」を果たしたのはもちろん、
こうした日本式百貨店経営のノウハウが、現在の新世界・ロッテ・現代をはじめとする韓国有数の百貨店にまで受け継がれたと述べている。
しかし、
「日本の統治に抵抗した朝鮮人らのうち、多くの人々が日常生活では日本のライフスタイルに適応し、自ら収奪の手先と非難していた三中井や三越でショッピングを楽しんでいた」という下りは、そのまま見過ごすことのできない問題を抱えている。
そうした「日常」の微妙さについて、これまできちんと検証することのできなかった韓国近現代歴史学のすき間にこの本は位置しているのだ。』
http://www.chosunonline.com/article/20070506000001
これは メッセージ 17148 (nenkaihi_muryou さん)への返信です.