歴史に付け焼き刃はききませんね〜(大笑
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/04/29 09:24 投稿番号: [16818 / 73791]
>当時の陸軍兵力
日本
25万人
中国
210万人
ソ連
160万人
また8月23日に、独ソ不可侵条約が締結されており、ソ連は後顧の憂いなく
戦えたわけです。<
>実際に10師団をノモンハンのソ連軍の目の前に並べても、
ソ連はなんともなかったでしょうね。
ソ連には160万の兵力があったのだから。<
>外交というのは、騙しあいであり、ハッタリはつき物です、
そんなことくらい百も承知のスターリンが、騙されるはずが無い。<
いやはや、笑わせてもらいました。
思いつきと古いデータだけで、ためにする議論をしていると、こんなジョーク(笑)をジョークと思わずに、つい書くんでしょうね。
ノモンハンに関して、日ソ双方は、9月15日に最終合意、16日に日ソの停戦協定を成立させ発表していますが、協定署名が終わり、協定成立を確認したスターリンは、
まさに、間髪を入れず、即座に、或る命令を軍に発令。
そして、丁度、その翌日、9月17日・・
9月17未明、ソ連軍は突如、大挙して、ポーランド領内に進軍開始。
その数週間前の1939年9月1日、ドイツ軍とドイツと同盟したスロヴァキアの軍部隊が、ポーランドに侵攻していました。
ご存じなかったようですが(笑)、独ソによるポーランド分割、二次大戦の始まりですね!(大笑)
ソ連は、本来の予定では、ポーランド分割・秘密協定に沿って、ドイツ軍と同時期に侵攻予定だったのですが、ノモンハンで大敗して、大損害を被り、さらに日本軍の反攻が恐ろしくてならず、日本との停戦成立を待たなければならなかったんですよ。
だから、協定成立を待って、焦りに焦った後、連絡を受けて、即座にポーランド侵攻を命じています。
ノモンハンの停戦交渉が長引いて、スターリンが焦りに焦るところは、学生に与えるような歴史の本にも出てます(苦笑)。
さらに、追って、2ヶ月後の39年11月30日に、ソ連軍は、フィンランドに侵攻。
冬戦争の始まりで、これも、ノモンハンがなければ、大軍の移動、侵攻には不利だと分かり切っている冬季ではなくて、9月中に開始されるはずでした。しかし、ジューコフが、あたら、機械化師団、航空兵力をノモンハンで、日本軍に壊滅させられて、侵攻準備が整わなかった。それも、大概の基本的な歴史書に書いてありますよ(笑)。
フィンランド戦投入戦力は、23個師団45万人の将兵、砲2000門、戦車2500両、航空機700機。
ポーランド戦は、二つの方面軍を形成し、将兵だけで、なんと80万人以上、装備もフィンランド戦の数倍。
それでも、ノモンハンの損害が影響して、日程、装備をはじめ、計画は狂いに狂っていました。
スターリン、ソ連にとっては、二つの大きな作戦に、大きな齟齬を来すほど、ノモンハンの戦いは、まさに、痛打だったんですよ!
>ソ連 160万人 独ソ不可侵条約が締結されており、ソ連は後顧の憂いなく戦えたわけです。<
いやはや、大したジョーク(大笑)
また、『フィンランドはこの露骨な侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守り抜いた』と、どんな歴史書にも書かれていますね。
ソ連軍に大損害を与えつつも、領土を失ったフィンランドを負けたとは言わないのですよ。
>ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、年末までにはフィンランド全土を制圧できると考え、フィンランド軍のおよそ3倍の兵力を投入したが、結局フィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられた。
ソ連指導部は、戦争開始から1ヶ月もたたないうちにこの戦争の落としどころを考え始めていた。死傷者の増加や戦争の長期化、泥沼化は、ソ連国内の政治課題ともなっていた。また春の訪れと共にソ連軍は森林地帯のぬかるみにはまる危険があった。ソ連は攻撃と並行して、1月12日和平交渉の再開をフィンランドに提案していた。1月末にはスウェーデン政府を経由した和平の予備交渉にまで至っていたが、フィンランド政府は、ソ連の提示した厳しい講和条件に躊躇せざるを得なかった。
しかし、スウェーデン王グスタフ5世がフィンランド支援のために正規軍を派遣しないことを公式に表明したことに加えて、2月末までにフィンランド軍の武器・弾薬の消耗が激しく、マンネルヘイム元帥はこのまま戦争を継続した場合、敗北は必至で、フィンランドの独立さえ危うくなるという政治的な判断により、講和による決着を考えた。<
日本やソ連と同じような考え方ですね(笑)
また8月23日に、独ソ不可侵条約が締結されており、ソ連は後顧の憂いなく
戦えたわけです。<
>実際に10師団をノモンハンのソ連軍の目の前に並べても、
ソ連はなんともなかったでしょうね。
ソ連には160万の兵力があったのだから。<
>外交というのは、騙しあいであり、ハッタリはつき物です、
そんなことくらい百も承知のスターリンが、騙されるはずが無い。<
いやはや、笑わせてもらいました。
思いつきと古いデータだけで、ためにする議論をしていると、こんなジョーク(笑)をジョークと思わずに、つい書くんでしょうね。
ノモンハンに関して、日ソ双方は、9月15日に最終合意、16日に日ソの停戦協定を成立させ発表していますが、協定署名が終わり、協定成立を確認したスターリンは、
まさに、間髪を入れず、即座に、或る命令を軍に発令。
そして、丁度、その翌日、9月17日・・
9月17未明、ソ連軍は突如、大挙して、ポーランド領内に進軍開始。
その数週間前の1939年9月1日、ドイツ軍とドイツと同盟したスロヴァキアの軍部隊が、ポーランドに侵攻していました。
ご存じなかったようですが(笑)、独ソによるポーランド分割、二次大戦の始まりですね!(大笑)
ソ連は、本来の予定では、ポーランド分割・秘密協定に沿って、ドイツ軍と同時期に侵攻予定だったのですが、ノモンハンで大敗して、大損害を被り、さらに日本軍の反攻が恐ろしくてならず、日本との停戦成立を待たなければならなかったんですよ。
だから、協定成立を待って、焦りに焦った後、連絡を受けて、即座にポーランド侵攻を命じています。
ノモンハンの停戦交渉が長引いて、スターリンが焦りに焦るところは、学生に与えるような歴史の本にも出てます(苦笑)。
さらに、追って、2ヶ月後の39年11月30日に、ソ連軍は、フィンランドに侵攻。
冬戦争の始まりで、これも、ノモンハンがなければ、大軍の移動、侵攻には不利だと分かり切っている冬季ではなくて、9月中に開始されるはずでした。しかし、ジューコフが、あたら、機械化師団、航空兵力をノモンハンで、日本軍に壊滅させられて、侵攻準備が整わなかった。それも、大概の基本的な歴史書に書いてありますよ(笑)。
フィンランド戦投入戦力は、23個師団45万人の将兵、砲2000門、戦車2500両、航空機700機。
ポーランド戦は、二つの方面軍を形成し、将兵だけで、なんと80万人以上、装備もフィンランド戦の数倍。
それでも、ノモンハンの損害が影響して、日程、装備をはじめ、計画は狂いに狂っていました。
スターリン、ソ連にとっては、二つの大きな作戦に、大きな齟齬を来すほど、ノモンハンの戦いは、まさに、痛打だったんですよ!
>ソ連 160万人 独ソ不可侵条約が締結されており、ソ連は後顧の憂いなく戦えたわけです。<
いやはや、大したジョーク(大笑)
また、『フィンランドはこの露骨な侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守り抜いた』と、どんな歴史書にも書かれていますね。
ソ連軍に大損害を与えつつも、領土を失ったフィンランドを負けたとは言わないのですよ。
>ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは、年末までにはフィンランド全土を制圧できると考え、フィンランド軍のおよそ3倍の兵力を投入したが、結局フィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられた。
ソ連指導部は、戦争開始から1ヶ月もたたないうちにこの戦争の落としどころを考え始めていた。死傷者の増加や戦争の長期化、泥沼化は、ソ連国内の政治課題ともなっていた。また春の訪れと共にソ連軍は森林地帯のぬかるみにはまる危険があった。ソ連は攻撃と並行して、1月12日和平交渉の再開をフィンランドに提案していた。1月末にはスウェーデン政府を経由した和平の予備交渉にまで至っていたが、フィンランド政府は、ソ連の提示した厳しい講和条件に躊躇せざるを得なかった。
しかし、スウェーデン王グスタフ5世がフィンランド支援のために正規軍を派遣しないことを公式に表明したことに加えて、2月末までにフィンランド軍の武器・弾薬の消耗が激しく、マンネルヘイム元帥はこのまま戦争を継続した場合、敗北は必至で、フィンランドの独立さえ危うくなるという政治的な判断により、講和による決着を考えた。<
日本やソ連と同じような考え方ですね(笑)
これは メッセージ 16810 (superdreadnote さん)への返信です.