BT戦車や日本の戦車の事も書かれてますね
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/04/27 22:12 投稿番号: [16746 / 73791]
guatemalalibertaさんのお勧めに従い、他の掲示板も色々見てみたら、大体、以下のように、2年前でも既にソ連最新データも盛り込んで、投稿者の方々は、今の見方と同じように見てますね。
こんな感じでしょうね。その後、ソ連軍はスターリンの本来の狙いである満州には近づけなくなり、大損害を被って、足止めされたのですから、私は負けであるとは思いますが・・・・
なかなか面白い書き方もされているので、紹介します(笑)
>ハム太郎専用97式改戦車さん 投稿日:2005/01/28
①BT戦車・・・ノモンハン事件におけるソ連軍主力戦車はBT5とBT5改良型のBT7戦車で装甲車はBA6装甲車であった・・・なのだ(@_@;)
司馬氏をはじめ歴史小説家は何かとBT戦車の装甲と火力を強調する傾向が強く、特に星亮一氏に至っては「BT戦車の最大装甲が45ミリあった!」と記述していたが・・・何か勘違いしているとしか思えない・・・なのだ(・_・;)
日ソ両軍がノモンハン事件で参加した戦車・装甲車のデ〜タは次の通りである・・・なのだ(@_@;)
①BT5戦車 最大装甲13ミリ 武装45ミリ砲 最大速度52キロ
②89式戦車 最大装甲17ミリ 武装57ミリ砲 最大速度25キロ
③BT7戦車 最大装甲22ミリ 武装45ミリ砲 最大速度50キロ
④97式戦車 最大装甲25ミリ 武装57ミリ砲 最大速度38キロ
⑤BA6装甲車 最大装甲10ミリ 武装45ミリ砲 最大速度55キロ
⑥95式軽戦車 最大装甲12ミリ 武装37ミリ砲 最大速度40キロ
⑦97式装甲車 最大装甲16ミリ 武装37ミリ砲 最大速度40キロ
これでソ連軍のBT戦車の装甲が帝国陸軍の戦車よりも装甲が厚くなかったと理解出来たと思うが・・・実際にノモンハン事件におけるソ連軍戦車BT5、7の砲塔はリベット接合方式であり、日本軍の機関銃弾や戦車砲でリベットが折損し、破片が車内で飛び回り、ソ連戦車兵を負傷させ欄座してしまうことが多かった・・・なのだ(@_@;)
またリベットが吹っ飛んでしまったためにBT戦車の装甲がズレ落ちたともあったそうだ・・・なのだ(・_・;)一応公平のために記述したいが、BT戦車の最大の特徴は火力や装甲ではなく、当時の戦車の性能としては突出した機動力であった・・・なのだ(・_・;)BT戦車の車輪はゴムタイヤであり、キャタピラを外して、走行すれば70キロ以上の速度は可能だったのだ・・・(^_^)
蛇足ながら、ソ連軍戦車が接合方式から、電気溶接式に改めたのはノモンハン事件の教訓を生かしたことによるものであった・・・なのだ(・_・;)<
>東条・ハム太郎さん 投稿日:2005/02/02(Wed)
重機で射撃したら、至近距離で穴だらけ・・・本当なのだ(・_・)
日本陸軍が装備していた92式重機関銃で徹甲弾(対戦車・装甲車用の弾丸)を使用した場合・・・距離2百メートル以内であれば鉄板を少々厚くしたBT戦車の装甲は貫通することが、出出来ました・・・なのだ(@_@;)
ノモンハン事件の写真にBT戦車が炎上している写真がありますが・・・火炎瓶や対戦車地雷の他に92式重機関銃の攻撃により、BT戦車の装甲が貫通、砲塔内に収納されていた砲弾に着弾、他の砲弾に誘爆し爆発、炎上したBT戦車も多数あった・・・なのだ( ゜д゜)
>ジューコフ・ハム太郎 投稿日:2005/02/04(Fri)
そもそもノモンハン事件の発端は満蒙国境線、ハルハ河周辺地帯にソ連・モンゴル軍が陣地を構築し、日本・満州軍が反撃したというのが基本線である・・・なのだ(・_・;)
関東軍は基本的に不拡大、ソ連軍侵入防止だった訳でスターリンはポーランド侵攻、バルト三国併合とフィンランドの領土割譲(カレリア地方)のためにも二正面作戦は避けたいところであり、水面下で日本と交渉し、日本も日中戦争の手前、ソ連との交渉の結果、停戦に応じた訳である・・・なのだ(・_・;)
またジューコフ将軍はスターリンの粛清を恐れ、捏造報告し、昇進した・・・なのだ(@@;
と言うことで政治的・戦略的には引き分け、戦術的には関東軍の戦車部隊、航空部隊、歩兵部隊の技量、戦術により、極東ソ連軍を圧倒、勝利した・・・なのだ(^_^)
五味川純平、司馬遼太郎が唱えていた「近代化され、機械化されたソ連軍!」は全くの虚構であり、日本陸軍の精鋭中の精鋭、関東軍の前に惨敗したのだ(^_^)
さすがは我が無敵関東軍と言いたい・・・なのだ(?_?;)<
こんな感じでしょうね。その後、ソ連軍はスターリンの本来の狙いである満州には近づけなくなり、大損害を被って、足止めされたのですから、私は負けであるとは思いますが・・・・
なかなか面白い書き方もされているので、紹介します(笑)
>ハム太郎専用97式改戦車さん 投稿日:2005/01/28
①BT戦車・・・ノモンハン事件におけるソ連軍主力戦車はBT5とBT5改良型のBT7戦車で装甲車はBA6装甲車であった・・・なのだ(@_@;)
司馬氏をはじめ歴史小説家は何かとBT戦車の装甲と火力を強調する傾向が強く、特に星亮一氏に至っては「BT戦車の最大装甲が45ミリあった!」と記述していたが・・・何か勘違いしているとしか思えない・・・なのだ(・_・;)
日ソ両軍がノモンハン事件で参加した戦車・装甲車のデ〜タは次の通りである・・・なのだ(@_@;)
①BT5戦車 最大装甲13ミリ 武装45ミリ砲 最大速度52キロ
②89式戦車 最大装甲17ミリ 武装57ミリ砲 最大速度25キロ
③BT7戦車 最大装甲22ミリ 武装45ミリ砲 最大速度50キロ
④97式戦車 最大装甲25ミリ 武装57ミリ砲 最大速度38キロ
⑤BA6装甲車 最大装甲10ミリ 武装45ミリ砲 最大速度55キロ
⑥95式軽戦車 最大装甲12ミリ 武装37ミリ砲 最大速度40キロ
⑦97式装甲車 最大装甲16ミリ 武装37ミリ砲 最大速度40キロ
これでソ連軍のBT戦車の装甲が帝国陸軍の戦車よりも装甲が厚くなかったと理解出来たと思うが・・・実際にノモンハン事件におけるソ連軍戦車BT5、7の砲塔はリベット接合方式であり、日本軍の機関銃弾や戦車砲でリベットが折損し、破片が車内で飛び回り、ソ連戦車兵を負傷させ欄座してしまうことが多かった・・・なのだ(@_@;)
またリベットが吹っ飛んでしまったためにBT戦車の装甲がズレ落ちたともあったそうだ・・・なのだ(・_・;)一応公平のために記述したいが、BT戦車の最大の特徴は火力や装甲ではなく、当時の戦車の性能としては突出した機動力であった・・・なのだ(・_・;)BT戦車の車輪はゴムタイヤであり、キャタピラを外して、走行すれば70キロ以上の速度は可能だったのだ・・・(^_^)
蛇足ながら、ソ連軍戦車が接合方式から、電気溶接式に改めたのはノモンハン事件の教訓を生かしたことによるものであった・・・なのだ(・_・;)<
>東条・ハム太郎さん 投稿日:2005/02/02(Wed)
重機で射撃したら、至近距離で穴だらけ・・・本当なのだ(・_・)
日本陸軍が装備していた92式重機関銃で徹甲弾(対戦車・装甲車用の弾丸)を使用した場合・・・距離2百メートル以内であれば鉄板を少々厚くしたBT戦車の装甲は貫通することが、出出来ました・・・なのだ(@_@;)
ノモンハン事件の写真にBT戦車が炎上している写真がありますが・・・火炎瓶や対戦車地雷の他に92式重機関銃の攻撃により、BT戦車の装甲が貫通、砲塔内に収納されていた砲弾に着弾、他の砲弾に誘爆し爆発、炎上したBT戦車も多数あった・・・なのだ( ゜д゜)
>ジューコフ・ハム太郎 投稿日:2005/02/04(Fri)
そもそもノモンハン事件の発端は満蒙国境線、ハルハ河周辺地帯にソ連・モンゴル軍が陣地を構築し、日本・満州軍が反撃したというのが基本線である・・・なのだ(・_・;)
関東軍は基本的に不拡大、ソ連軍侵入防止だった訳でスターリンはポーランド侵攻、バルト三国併合とフィンランドの領土割譲(カレリア地方)のためにも二正面作戦は避けたいところであり、水面下で日本と交渉し、日本も日中戦争の手前、ソ連との交渉の結果、停戦に応じた訳である・・・なのだ(・_・;)
またジューコフ将軍はスターリンの粛清を恐れ、捏造報告し、昇進した・・・なのだ(@@;
と言うことで政治的・戦略的には引き分け、戦術的には関東軍の戦車部隊、航空部隊、歩兵部隊の技量、戦術により、極東ソ連軍を圧倒、勝利した・・・なのだ(^_^)
五味川純平、司馬遼太郎が唱えていた「近代化され、機械化されたソ連軍!」は全くの虚構であり、日本陸軍の精鋭中の精鋭、関東軍の前に惨敗したのだ(^_^)
さすがは我が無敵関東軍と言いたい・・・なのだ(?_?;)<
これは メッセージ 16703 (guatemalaliberta さん)への返信です.