Re: 悲惨なソ連軍参謀手記 ノモンハン 2
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/04/27 09:17 投稿番号: [16712 / 73791]
『戦闘に参加した兵士、パイロット、部隊司令官ら数十人への聞き取り調査を、戦闘の「生々しい痕跡」が残る現場で行った。
ジューコフ将軍にも聞き取り調査を行ったが、将軍は調査に落胆し、その後は一切協力しなかった。
われわれは、それらの資料をもとに、すべての戦闘の客観的な全体像をつかんだ。軍の戦争準備不足や司令部の誤り、失策、計算違いの数々を含む全容が解明された。』
とても、勝ち戦の報告書ではなさそうですね(大笑)。
『シュテルン司令官はノモンハンの戦いの最中、幾度となくジューコフ将軍にそれを理解してくれるよう努力したが、まったくダメだった。
反対に悲劇的な結果をもたらした。スターリンに直接連絡ができたのはジューコフ将軍とシュテルン司令官だったが、シュテルン司令官が報告した正直で正当な情報はすぐさま、ジューコフ将軍に都合がいいようにゆがめられたのだ。
一九四〇年にシュテルン司令官は、突然私たちの前から姿を消し、それ以後の彼の運命は誰も正確には知らない。
軍は、大きな戦争の前にまた一人、実践的で戦略的な大局観をもった才能ある指揮官を失った。
彼は参謀本部の将校たちが得たばかりの戦闘経験を研究し、司令部のすべての過ちと、軍の戦争準備で不足していた点を解明するよう命じた。
極秘資料として出版し、各部隊の全司令官にノモンハン戦の経験を学ばせるつもりだった。
参謀本部もそれを要求していた。
報告書の作成委員会には、次の参謀本部士官が加わった。軍とジューコフ将軍の動きを現地で幾度となく観察していたペチェネンコ最前線作戦準備部長、増援部隊の最前線への輸送を担っていたロモフ最前線機動化部長、陸軍参謀団作戦部長のテストフ大佐、部隊の補給責任者だったノボブラネツ大佐(自分)。そのほかにもいたが、名前は覚えていない。報告書作成の指揮をしたのは最前線作戦部長のクレストフ大佐だった。
戦闘に参加した兵士、パイロット、部隊司令官ら数十人への聞き取り調査を、戦闘の「生々しい痕跡」が残る現場で行った。
ジューコフ将軍にも聞き取り調査を行ったが、将軍は調査に落胆し、その後は一切協力しなかった。
われわれは、それらの資料をもとに、すべての戦闘の客観的な全体像をつかんだ。軍の戦争準備不足や司令部の誤り、失策、計算違いの数々を含む全容が解明された。
この手書き報告書を受け取った参謀本部東部作戦部のシェフチェンコ大佐は、それが価値をもち、赤軍の司令官たちに不可欠であるとの結論に達し、参謀本部長のメレツコフ将軍に出版許可を要請した。メレツコフ将軍は賛同したが、そのとき、ジューコフ将軍が後任の参謀本部長に任命された。
ジューコフ将軍はすでにノモンハン戦を自賛する内容の著書を出版していた。
それを知らないシェフチェンコ大佐は、出版許可を取るため報告書をジューコフ将軍に渡したが、激怒した将軍はシェフチェンコ大佐を怒鳴りつけ報告書を自分の金庫に葬った。
報告書がその後どうなったのかは不明だが、歴史のためにも捜し出し出版することは問題とはならないだろう。この労作は興味深く、示唆に富む内容のはずである。
ノモンハン戦の後、フィンランドとの戦いが始まった。ナチス・ドイツは、われわれの戦闘能力を知っていた。そして、ここでも、われわれは世界の物笑いになった。
一師団がノモンハンでの失敗を繰り返し、包囲され全滅したのだ。』
終わり
ジューコフ将軍にも聞き取り調査を行ったが、将軍は調査に落胆し、その後は一切協力しなかった。
われわれは、それらの資料をもとに、すべての戦闘の客観的な全体像をつかんだ。軍の戦争準備不足や司令部の誤り、失策、計算違いの数々を含む全容が解明された。』
とても、勝ち戦の報告書ではなさそうですね(大笑)。
『シュテルン司令官はノモンハンの戦いの最中、幾度となくジューコフ将軍にそれを理解してくれるよう努力したが、まったくダメだった。
反対に悲劇的な結果をもたらした。スターリンに直接連絡ができたのはジューコフ将軍とシュテルン司令官だったが、シュテルン司令官が報告した正直で正当な情報はすぐさま、ジューコフ将軍に都合がいいようにゆがめられたのだ。
一九四〇年にシュテルン司令官は、突然私たちの前から姿を消し、それ以後の彼の運命は誰も正確には知らない。
軍は、大きな戦争の前にまた一人、実践的で戦略的な大局観をもった才能ある指揮官を失った。
彼は参謀本部の将校たちが得たばかりの戦闘経験を研究し、司令部のすべての過ちと、軍の戦争準備で不足していた点を解明するよう命じた。
極秘資料として出版し、各部隊の全司令官にノモンハン戦の経験を学ばせるつもりだった。
参謀本部もそれを要求していた。
報告書の作成委員会には、次の参謀本部士官が加わった。軍とジューコフ将軍の動きを現地で幾度となく観察していたペチェネンコ最前線作戦準備部長、増援部隊の最前線への輸送を担っていたロモフ最前線機動化部長、陸軍参謀団作戦部長のテストフ大佐、部隊の補給責任者だったノボブラネツ大佐(自分)。そのほかにもいたが、名前は覚えていない。報告書作成の指揮をしたのは最前線作戦部長のクレストフ大佐だった。
戦闘に参加した兵士、パイロット、部隊司令官ら数十人への聞き取り調査を、戦闘の「生々しい痕跡」が残る現場で行った。
ジューコフ将軍にも聞き取り調査を行ったが、将軍は調査に落胆し、その後は一切協力しなかった。
われわれは、それらの資料をもとに、すべての戦闘の客観的な全体像をつかんだ。軍の戦争準備不足や司令部の誤り、失策、計算違いの数々を含む全容が解明された。
この手書き報告書を受け取った参謀本部東部作戦部のシェフチェンコ大佐は、それが価値をもち、赤軍の司令官たちに不可欠であるとの結論に達し、参謀本部長のメレツコフ将軍に出版許可を要請した。メレツコフ将軍は賛同したが、そのとき、ジューコフ将軍が後任の参謀本部長に任命された。
ジューコフ将軍はすでにノモンハン戦を自賛する内容の著書を出版していた。
それを知らないシェフチェンコ大佐は、出版許可を取るため報告書をジューコフ将軍に渡したが、激怒した将軍はシェフチェンコ大佐を怒鳴りつけ報告書を自分の金庫に葬った。
報告書がその後どうなったのかは不明だが、歴史のためにも捜し出し出版することは問題とはならないだろう。この労作は興味深く、示唆に富む内容のはずである。
ノモンハン戦の後、フィンランドとの戦いが始まった。ナチス・ドイツは、われわれの戦闘能力を知っていた。そして、ここでも、われわれは世界の物笑いになった。
一師団がノモンハンでの失敗を繰り返し、包囲され全滅したのだ。』
終わり
これは メッセージ 16711 (may7idaho さん)への返信です.