masukake1さんの意見もこれまた・・・
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/04/20 21:44 投稿番号: [16336 / 73791]
立て続けで(笑)、申し訳ないですが、またまた、呉善花さんですが、似たような事で、面白い事を言っています。
ちょっと違うような・・・というところもなきにしもあらず・・なんですが。
『犬の茶碗にしか見えなかった日本の食器を集めてみた』という話しです・・
犬の茶碗!ですからね、日本の茶碗は(笑)。
考えつかない発想ですね。
『醜く見えた茶碗が美しく見えてきた
日本を理解する第一歩として「これが日本人だ」と言う内容の本を何冊も買って読んでも見ましたが、どれもおおざっぱな説明で、私が悩んでいた日本人の感覚や美意識を読み取ったものは一冊もありませんでした。
これはもう、自分が理解できないと感じているものの中に飛び込んでみるしかない。そう思い、一つの方法として、犬の茶碗にしか見えなかった日本の食器を集めてみようと思い立ったのです。
韓国では食器はどれもまん丸い形で、小皿や中皿、大皿などいろいろな種類を十枚ずつセットで買い揃えるという習慣があります。
そして、それに飽きたら、すべて買い直す。
つまり韓国人は、セットを食器棚にピシッと収めたときに安らぎを感じるのです。
ところが日本人の家に行くと、食器棚にはお父さんの湯飲み、お母さんの湯飲みと、色も形も違うものが入っていて「これは私の気に入りのコーヒーカップ」と言った単位などがあって、バラバラで、そう言うものを見るたびに、私はイライラしていました。
それを思い切って、それまで持っていたステンレス製や西洋の食器を捨て、和食器にしようと決めた。
絶対にセットでは買わずに、一つずつ、派手なものよりは渋いもの、できるだけ分厚くて暗いもの,くねっと曲がったものを買うように自分をし向けていきました。
いつしか一個ずつ買っていくことが楽しみになっていったのです。韓国式にセットですべて揃えた場合はそれ以上集める必要はないのです。それで完璧だからです。
窯元を訪ねると、素人目にはすばらしいと感じる作品も、「ダメだ」と言って壊してしまいますね。
なぜそれがダメなのですかと聞いてみると、理由はわからないけれどもそう感じると答えるわけです。
それは頭で考えたものではなく、肌で感じていて、そこには自然の法則がある。
それがまさに「道」なのだと思いました。すると、それまでに無秩序でバラバラに感じられていた和の食器が美しく感じられてきたのです。
そして今度はその目で韓国風や西洋風のまっ白い磁器や金色が施されている食器を眺めると、頭が疲れるわけです。明らかに理念の世界で見ているからです。
そういう美しさは人工的な美です。だからこそ逆に言えば完璧なのです。
それに対して、形が不均衡で分厚くて自然の色の和のものは、素朴で飽きることなく、緊張感がほぐれていくのです。身体で感じる世界なので、終わりがない。
しばらく時間が経って眺めると、そこに動きが感じられる。頭の働きもやむことなく、ずっと働いているので、身体はそこにいながら動いているような感覚です。
ここに日本文化の秘密があるのだと感じましたね。これは自然の法則と自分の身体が一体となった美意識で、日本人の生活そのものがこれを中心に回っているんじゃないかと、漠然と感覚で感じ取ることができたのです。
その法則を当てはめてみると、私の中で絡み合っていた糸が一瞬にほぐれていくように、日本人を理解できなかったことの悩みがスーッと消えていくように見えてきた。』
ちょっと違うような・・・というところもなきにしもあらず・・なんですが。
『犬の茶碗にしか見えなかった日本の食器を集めてみた』という話しです・・
犬の茶碗!ですからね、日本の茶碗は(笑)。
考えつかない発想ですね。
『醜く見えた茶碗が美しく見えてきた
日本を理解する第一歩として「これが日本人だ」と言う内容の本を何冊も買って読んでも見ましたが、どれもおおざっぱな説明で、私が悩んでいた日本人の感覚や美意識を読み取ったものは一冊もありませんでした。
これはもう、自分が理解できないと感じているものの中に飛び込んでみるしかない。そう思い、一つの方法として、犬の茶碗にしか見えなかった日本の食器を集めてみようと思い立ったのです。
韓国では食器はどれもまん丸い形で、小皿や中皿、大皿などいろいろな種類を十枚ずつセットで買い揃えるという習慣があります。
そして、それに飽きたら、すべて買い直す。
つまり韓国人は、セットを食器棚にピシッと収めたときに安らぎを感じるのです。
ところが日本人の家に行くと、食器棚にはお父さんの湯飲み、お母さんの湯飲みと、色も形も違うものが入っていて「これは私の気に入りのコーヒーカップ」と言った単位などがあって、バラバラで、そう言うものを見るたびに、私はイライラしていました。
それを思い切って、それまで持っていたステンレス製や西洋の食器を捨て、和食器にしようと決めた。
絶対にセットでは買わずに、一つずつ、派手なものよりは渋いもの、できるだけ分厚くて暗いもの,くねっと曲がったものを買うように自分をし向けていきました。
いつしか一個ずつ買っていくことが楽しみになっていったのです。韓国式にセットですべて揃えた場合はそれ以上集める必要はないのです。それで完璧だからです。
窯元を訪ねると、素人目にはすばらしいと感じる作品も、「ダメだ」と言って壊してしまいますね。
なぜそれがダメなのですかと聞いてみると、理由はわからないけれどもそう感じると答えるわけです。
それは頭で考えたものではなく、肌で感じていて、そこには自然の法則がある。
それがまさに「道」なのだと思いました。すると、それまでに無秩序でバラバラに感じられていた和の食器が美しく感じられてきたのです。
そして今度はその目で韓国風や西洋風のまっ白い磁器や金色が施されている食器を眺めると、頭が疲れるわけです。明らかに理念の世界で見ているからです。
そういう美しさは人工的な美です。だからこそ逆に言えば完璧なのです。
それに対して、形が不均衡で分厚くて自然の色の和のものは、素朴で飽きることなく、緊張感がほぐれていくのです。身体で感じる世界なので、終わりがない。
しばらく時間が経って眺めると、そこに動きが感じられる。頭の働きもやむことなく、ずっと働いているので、身体はそこにいながら動いているような感覚です。
ここに日本文化の秘密があるのだと感じましたね。これは自然の法則と自分の身体が一体となった美意識で、日本人の生活そのものがこれを中心に回っているんじゃないかと、漠然と感覚で感じ取ることができたのです。
その法則を当てはめてみると、私の中で絡み合っていた糸が一瞬にほぐれていくように、日本人を理解できなかったことの悩みがスーッと消えていくように見えてきた。』
これは メッセージ 16334 (masukake1 さん)への返信です.