宗哲、漫画家の手塚治の愛の考察
投稿者: design1collection3 投稿日時: 2009/02/25 20:25 投稿番号: [7790 / 8733]
覚えておる、
手塚治が、、もしも、、で考えて、漫画で書いていたことを、、、、もしも、このまま、人類の愛がさめていって、、人類には、いろいろな形の愛の形状が有るが、、最後まで生き残る「愛」とは、何だろうか?
で、漫画を、描いていた。
手塚治は、、「友情」という愛の形が、最後まで生き残ると、漫画で書いてあった。
少し、俺のかすかな記憶と、俺なりの考えを付け加えて書くと、、、、、、確か? 男女の愛は、性欲だけに成っていってしまって、もろい。 (俺は ,ニーチャじゃない、、二ヒルな考え方は嫌い。 だけど、、今日は、それっぽいか?)
親子の愛は、子孫の存続と、お互いの利益、、そう、育てる、と老後、、での利害関係になる。 それから、血統のみを執着する愛。
男女の愛は、性欲の延長線上にしか過ぎなくなってしまう。
母性愛は、自己愛と変わらなくなってしまって、、ただ自己が生んだ子供に対して、自己愛としての母性愛にと代わらない。
師弟愛、、これは、ビジネスであったり、、建前だけであり、、自己顕示湯欲で生き残るだけ。
で、手塚治は、、意外と簡単で、手軽かもしれないが、、、、友情という形の愛が、根強く生き残る、、かも? と、漫画で書いていた。
友情的な愛は、、全ての愛の形に入り込むことができるし、、人種も関係なく構成もできるかも。 愛の形状の形の中では、一番に薄弱かもしれないが、、イツでもドコでも、作ることは出来る。 友情とは、、友情という形の愛の形状は、、同胞愛に成っていく事も有る。 友情は、始めは、、適当な好奇心とか、適当な構成での一緒とか、、また適当な偶然とかで、何かの小さな縁から、、育つことが多いが、、それが、同胞愛にまで育つことが有る。、、それは個人と個人の間で結ばれたプライベートな同胞愛であって、、そう、いたって個人的な関係でのプライベートの、同胞愛に成ることが有る。 それは友情という形ではあるが、いつでも、どんなときでも、利害関係無しで、愛の形状を保つ力が有る。
まあ、、コンなのは、水掛論議であって、、、嫌々、親子愛こそが、一番に強固で、捨てようがないうんめいてきな運命での、出会いが強制的にあり、絶対に捨てようがない、愛情関係、、という事もできる。
また、夫婦愛こそが、全ての家族の愛の核であり、、全ての愛の形状を育てる核である、、とも、理屈を作ることは出来る。
手塚治は、、もしも愛がこのまま最後までさめていったら、、、という言葉をつかって、、思考を始め、水掛け論を造ったな。
俺は、意味が有る、水掛論は嫌いじゃないね。 汚職にまぎれた、水掛け論は、嫌いですが、。
思考を深める水掛け論議論は、、、何か、思考を深めるかもしれない。
ただ、ニーチェのようになってしまってはダメだ。
正しい、水掛論議は、、いろいろな角度から、その対象を、調べ、議論し、対話を、楽しむことができるからだ。
手塚治は、、「友情」という愛の形が、最後まで生き残ると、漫画で書いてあった。
少し、俺のかすかな記憶と、俺なりの考えを付け加えて書くと、、、、、、確か? 男女の愛は、性欲だけに成っていってしまって、もろい。 (俺は ,ニーチャじゃない、、二ヒルな考え方は嫌い。 だけど、、今日は、それっぽいか?)
親子の愛は、子孫の存続と、お互いの利益、、そう、育てる、と老後、、での利害関係になる。 それから、血統のみを執着する愛。
男女の愛は、性欲の延長線上にしか過ぎなくなってしまう。
母性愛は、自己愛と変わらなくなってしまって、、ただ自己が生んだ子供に対して、自己愛としての母性愛にと代わらない。
師弟愛、、これは、ビジネスであったり、、建前だけであり、、自己顕示湯欲で生き残るだけ。
で、手塚治は、、意外と簡単で、手軽かもしれないが、、、、友情という形の愛が、根強く生き残る、、かも? と、漫画で書いていた。
友情的な愛は、、全ての愛の形に入り込むことができるし、、人種も関係なく構成もできるかも。 愛の形状の形の中では、一番に薄弱かもしれないが、、イツでもドコでも、作ることは出来る。 友情とは、、友情という形の愛の形状は、、同胞愛に成っていく事も有る。 友情は、始めは、、適当な好奇心とか、適当な構成での一緒とか、、また適当な偶然とかで、何かの小さな縁から、、育つことが多いが、、それが、同胞愛にまで育つことが有る。、、それは個人と個人の間で結ばれたプライベートな同胞愛であって、、そう、いたって個人的な関係でのプライベートの、同胞愛に成ることが有る。 それは友情という形ではあるが、いつでも、どんなときでも、利害関係無しで、愛の形状を保つ力が有る。
まあ、、コンなのは、水掛論議であって、、、嫌々、親子愛こそが、一番に強固で、捨てようがないうんめいてきな運命での、出会いが強制的にあり、絶対に捨てようがない、愛情関係、、という事もできる。
また、夫婦愛こそが、全ての家族の愛の核であり、、全ての愛の形状を育てる核である、、とも、理屈を作ることは出来る。
手塚治は、、もしも愛がこのまま最後までさめていったら、、、という言葉をつかって、、思考を始め、水掛け論を造ったな。
俺は、意味が有る、水掛論は嫌いじゃないね。 汚職にまぎれた、水掛け論は、嫌いですが、。
思考を深める水掛け論議論は、、、何か、思考を深めるかもしれない。
ただ、ニーチェのようになってしまってはダメだ。
正しい、水掛論議は、、いろいろな角度から、その対象を、調べ、議論し、対話を、楽しむことができるからだ。
これは メッセージ 7749 (design1collection3 さん)への返信です.
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