・2−熱しやすく、冷めやすい わたしたち
投稿者: anywhere_you_want_to_go 投稿日時: 2003/04/27 22:51 投稿番号: [1443 / 8733]
------------------------
-
★ 熱しやすく、冷めやすい わたしたち ★
・ hm2002loveさんが以前おっしゃられた、
『 なにしろ、熱しやすく冷めやすい、
喉元すぎれば熱さを忘れる私たち… 』 は、
潜在的には、熱した時のような、大きな世論エネルギーを、
もっているということなのでしょうか?
・ 一大事が起こると、にわかに沸騰するエネルギーの向かう先、
そのほんのわずかでも…
平静な生活、冷静な状態でいられる時に、
わたしたちの求めている「実現可能な平和」のあり方について、
日常習慣の一部として意識にとどめておけることが、
今後 かかせなくなってゆく。 ということなのでしょうか?
------------------------ -
★ ささやかな対立 ★
・ それは …強制的に、 ではなく、
自発的に、ムリなく 「実現可能な平和」のあり方に、
継続して 意識してゆくために…
・「わたしたち個人」の主体性のある範囲・なじみのある視点で、
生活観・現実感の伴うことに、
今回のような「対立」の構図をなぞらえて、
自分自身の中にもある「対立的」な部分に対して
いかにケアしてゆくのか?
・ 最も身近な、わたしたち自身の「実生活の平和」への
貢献に荷担してゆくために、
隣にいる人との「対立」にたいして、
いかに有効に機能する
「平和的」な資質をはぐんでゆくのか?
そこに、意識を集中してゆくことが、
日常的に、継続して「平和」に貢献してゆけること、になるのでしょうか?
------------------------ -
★ 対立のプロフェッショナル ★
・ 実際には「対立」を目的にしようと思えば、
その素材は、どこにでもゴロゴロとしており、
・「対立」によって
お互いが 相手を排除しようとし
お互いが 排除されまいと抵抗し
双方が 貴重なエネルギーを消耗しながら
徒労感と犠牲と痛みをともなうのだとしたら…
・ 味わいたかったのは、果たして「対立的な感情」だったのでしょうか?
「対立」することが、議論の目的だったのでしょうか?
相手の人格を攻撃することが目的だったのでしょうか?
そこに平和的なものは見出してゆけたのでしょうか?
・ 身近にある「対立」に対して、
・ お互いの意見の「違い」を『認識』し、
尊重し合あえる…
「平和的」にかかわる 「手段」を 摸索しつづけ、
・ 建設的な議論、
納得のゆく、
「平和的」な問題解決の「実績」を 積み上げてゆくことは、
誰のためでもない 「わたしたち自身」の 生活・人生に
精神的な潤いと 柔軟に変化することのできる資質とを
招き入れることにつながってゆくのでしょうか?
・ 迎えることのできうる「平和」に 耐性をつけ、慣らしておくこと
自分自身の「対立」と 少しづつ和解し、手放しておくことが、
「実現可能な平和」に 一歩でも近づいてゆくことになってゆくのでしょうか?
------------------------ -
★ 熱しやすく、冷めやすい わたしたち ★
・ hm2002loveさんが以前おっしゃられた、
『 なにしろ、熱しやすく冷めやすい、
喉元すぎれば熱さを忘れる私たち… 』 は、
潜在的には、熱した時のような、大きな世論エネルギーを、
もっているということなのでしょうか?
・ 一大事が起こると、にわかに沸騰するエネルギーの向かう先、
そのほんのわずかでも…
平静な生活、冷静な状態でいられる時に、
わたしたちの求めている「実現可能な平和」のあり方について、
日常習慣の一部として意識にとどめておけることが、
今後 かかせなくなってゆく。 ということなのでしょうか?
------------------------ -
★ ささやかな対立 ★
・ それは …強制的に、 ではなく、
自発的に、ムリなく 「実現可能な平和」のあり方に、
継続して 意識してゆくために…
・「わたしたち個人」の主体性のある範囲・なじみのある視点で、
生活観・現実感の伴うことに、
今回のような「対立」の構図をなぞらえて、
自分自身の中にもある「対立的」な部分に対して
いかにケアしてゆくのか?
・ 最も身近な、わたしたち自身の「実生活の平和」への
貢献に荷担してゆくために、
隣にいる人との「対立」にたいして、
いかに有効に機能する
「平和的」な資質をはぐんでゆくのか?
そこに、意識を集中してゆくことが、
日常的に、継続して「平和」に貢献してゆけること、になるのでしょうか?
------------------------ -
★ 対立のプロフェッショナル ★
・ 実際には「対立」を目的にしようと思えば、
その素材は、どこにでもゴロゴロとしており、
・「対立」によって
お互いが 相手を排除しようとし
お互いが 排除されまいと抵抗し
双方が 貴重なエネルギーを消耗しながら
徒労感と犠牲と痛みをともなうのだとしたら…
・ 味わいたかったのは、果たして「対立的な感情」だったのでしょうか?
「対立」することが、議論の目的だったのでしょうか?
相手の人格を攻撃することが目的だったのでしょうか?
そこに平和的なものは見出してゆけたのでしょうか?
・ 身近にある「対立」に対して、
・ お互いの意見の「違い」を『認識』し、
尊重し合あえる…
「平和的」にかかわる 「手段」を 摸索しつづけ、
・ 建設的な議論、
納得のゆく、
「平和的」な問題解決の「実績」を 積み上げてゆくことは、
誰のためでもない 「わたしたち自身」の 生活・人生に
精神的な潤いと 柔軟に変化することのできる資質とを
招き入れることにつながってゆくのでしょうか?
・ 迎えることのできうる「平和」に 耐性をつけ、慣らしておくこと
自分自身の「対立」と 少しづつ和解し、手放しておくことが、
「実現可能な平和」に 一歩でも近づいてゆくことになってゆくのでしょうか?
------------------------ -
これは メッセージ 1442 (anywhere_you_want_to_go さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/a1yc0a43a6jbfoba4r4ja4a6a5ha5ta1y_1/1443.html