対立の所有-2 対立を包括する観念
投稿者: anywhere_you_want_to_go 投稿日時: 2003/04/17 21:09 投稿番号: [1283 / 8733]
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「対立」の中の「安定」
・「対立」という観念・世界観は、
お互いが、「反発・対峙・敵対」することで
力を打ち消しあいながら、バランスをとりつづける世界観
ということになるのでしょうか?
綱引きのように… どちらが強いか?
シーソーのように… どちらが重いか?
・ 一方にとっての守りは 他方にとっての脅威
一方にとっての繁栄は 他方にとっての貧困
ということになるのでしょうか?
「対立」という観念・世界観の上に築き上げた「安定」は、
「共存」を認識できないということなのでしょうか?
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平和への『可能性の種』
・「対立」という観念・世界観の
拮抗 の上に成り立つ「安定」は、
多様な 『可能性の種』をはぐくんできたのかもしれません。
不安定な「安定」の上にあっても、
そこに 多様な 『可能性の種』は芽を出すことができたのかもしれません。
一見「安定」している一方で、
保ち続けるのに、たえず繊細な緊張感を伴うのかもしれません。
ちょっとしたことで、バランスが崩れだし、
お互いに生存に必死で、なんとか持ち直そうと、
両極で負荷をかけ続けるということになるのでしょうか?
多様な 『可能性の種』も翻弄され、
…やがては「対立」の負荷に荷担してゆくことになるのでしょうか?
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「対立」という観念・世界観の最終局面
・「対立」という観念・世界観のアプローチの仕方が
最後までかわらなくても、勝負は永遠に続かないことを意味するのでしょうか?
・ 負荷をかけるエネルギーやテクノロジーが「対立」し打ち消しあう作用が
それを支えていた舞台の許容範囲を越えた時点で
舞台そのものが持ちこたえられなくなってしまうことを意味するのでしょうか?
・ 舞台は「対立」の側面から行われた「力の行使」に耐え切れなくなり
綱が引きちぎれ、シーソーが真っ二つに壊れ…
結果的に、「対立」という観念・世界観の望んだとおりに、
互いが互いを打ち消しあって、
世界観を機能させるそのものがなくなることで、
物理的に荒廃し「安定した世の中」になることを意味しているのでしょうか?
・ それは、ひとりになったとしても、
「対立」という観念・世界観のアプローチの仕方を所有する限り…
崩壊した世界にも見出す価値は、
「対立」を認識してゆくということなのでしょうか?
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「対立を包括する価値観」という観念・世界観
・ 洗練され強力なテクノロジーになればなるほど
すぐに「対立」が激化するのかもしれません。
これ以上、 多様な 『可能性の種』・強力なテクノロジーを
形あるものに具現化・具体化しようとすると、
「対立」という観念・世界観のアプローチの仕方では、許容不足で、
物理的に どうしても限界があるということを意味することになるのでしょうか?
・「対立」という観念・世界観のアプローチの仕方 で、
実現できる可能性に窮屈さを感じだすと、
自然発生的に たち現れ 移行してゆく 意識の変化が、
「平和」といわれていた 観念・世界観によるアプローチの仕方となるのでしょうか?
… それは、
「対立」という観念・世界観で、培われたものの、ありのままを認識し、包括し
すべてのことに『存続意義を見いだし』、
より豊かな世の中のために、まるがかえで 貢献し登用し活用する
「対立を包括する価値観」ということを意味するものなのでしょうか?
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「対立」の中の「安定」
・「対立」という観念・世界観は、
お互いが、「反発・対峙・敵対」することで
力を打ち消しあいながら、バランスをとりつづける世界観
ということになるのでしょうか?
綱引きのように… どちらが強いか?
シーソーのように… どちらが重いか?
・ 一方にとっての守りは 他方にとっての脅威
一方にとっての繁栄は 他方にとっての貧困
ということになるのでしょうか?
「対立」という観念・世界観の上に築き上げた「安定」は、
「共存」を認識できないということなのでしょうか?
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平和への『可能性の種』
・「対立」という観念・世界観の
拮抗 の上に成り立つ「安定」は、
多様な 『可能性の種』をはぐくんできたのかもしれません。
不安定な「安定」の上にあっても、
そこに 多様な 『可能性の種』は芽を出すことができたのかもしれません。
一見「安定」している一方で、
保ち続けるのに、たえず繊細な緊張感を伴うのかもしれません。
ちょっとしたことで、バランスが崩れだし、
お互いに生存に必死で、なんとか持ち直そうと、
両極で負荷をかけ続けるということになるのでしょうか?
多様な 『可能性の種』も翻弄され、
…やがては「対立」の負荷に荷担してゆくことになるのでしょうか?
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「対立」という観念・世界観の最終局面
・「対立」という観念・世界観のアプローチの仕方が
最後までかわらなくても、勝負は永遠に続かないことを意味するのでしょうか?
・ 負荷をかけるエネルギーやテクノロジーが「対立」し打ち消しあう作用が
それを支えていた舞台の許容範囲を越えた時点で
舞台そのものが持ちこたえられなくなってしまうことを意味するのでしょうか?
・ 舞台は「対立」の側面から行われた「力の行使」に耐え切れなくなり
綱が引きちぎれ、シーソーが真っ二つに壊れ…
結果的に、「対立」という観念・世界観の望んだとおりに、
互いが互いを打ち消しあって、
世界観を機能させるそのものがなくなることで、
物理的に荒廃し「安定した世の中」になることを意味しているのでしょうか?
・ それは、ひとりになったとしても、
「対立」という観念・世界観のアプローチの仕方を所有する限り…
崩壊した世界にも見出す価値は、
「対立」を認識してゆくということなのでしょうか?
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「対立を包括する価値観」という観念・世界観
・ 洗練され強力なテクノロジーになればなるほど
すぐに「対立」が激化するのかもしれません。
これ以上、 多様な 『可能性の種』・強力なテクノロジーを
形あるものに具現化・具体化しようとすると、
「対立」という観念・世界観のアプローチの仕方では、許容不足で、
物理的に どうしても限界があるということを意味することになるのでしょうか?
・「対立」という観念・世界観のアプローチの仕方 で、
実現できる可能性に窮屈さを感じだすと、
自然発生的に たち現れ 移行してゆく 意識の変化が、
「平和」といわれていた 観念・世界観によるアプローチの仕方となるのでしょうか?
… それは、
「対立」という観念・世界観で、培われたものの、ありのままを認識し、包括し
すべてのことに『存続意義を見いだし』、
より豊かな世の中のために、まるがかえで 貢献し登用し活用する
「対立を包括する価値観」ということを意味するものなのでしょうか?
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これは メッセージ 1282 (anywhere_you_want_to_go さん)への返信です.
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