>>「拉致に賛成」は68%
投稿者: light_cavalryman 投稿日時: 2004/09/29 01:25 投稿番号: [8022 / 17759]
レスが遅くなってすみません。
> しかし首切り場面など、見た目にもショッキング、
> かつ憎悪と嫌悪しか呼ばないような映像をネットで公開し、
> 自分たちが闘っている相手と同様の野蛮を世界に知らしめることが、
> 主張する側にとって本当に有効なものであると言えるだろうか?
>
> (中略)
>
> あーいうものが主張として有効だと信じて疑わないテロリストたちの野蛮さを、
> 大殺戮にもったいぶった理由をつけてそれを正当化しようとする大国の姿勢と
> 同様に、おれはに軽蔑する。
>
> そしてそれに溜飲を下げるであろう、
> 罪なき人々も同じように、受け入れることができない。
>
> ゴメンね。
ピューピュー北風氏の「今の私たちの日常的な生活感覚からすると、という限定を
設けなくてはいけないと思います。もしかすると、私たちの感覚は、地球上に
今のところあまり普遍的でないのかもしれないし・・・」という反論は、かなり
有効だと思うが、私も、まとまらないままに反論は一応用意してはいる。
私としては、アメリカやイスラエルの「テロリストとの戦い」あるいは「テロには
屈しない」という論理に与することにつながるようなことは一切したくないのだ。
“テロリスト”と呼ばれている人たちのなかの、槍玉にあがっているような行動を
肯定するつもりはないが、だからといって、ブッシュやシャロンや小泉の主張に
結果的に味方するようなことは、極力避けたいという気持ちがあるのだ。
新約聖書の「ヨハネによる福音書」の8.1-8.11には、とても有名な話(場面)がある。
律法学者やファリサイ派の連中が、イエスの前に、姦通の罪を犯した女性を連れてきて、
「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています」とイエスを試す。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」
とイエスは応えられた。これを聞いて、この女を連れてきたものたちは、一人また
一人と立ち去っていった…。
アラブの人たちを殺したものに、中東に爆弾をばら撒いたものに、“テロリスト”の
非道を糾弾する資格はない!
アメリカやイスラエルのやっていることは、「俺たちは罪を犯したことはない」などと
いけしゃあしゃあと言って、この哀れな女性を石で惨殺してしまったようなものだと
私は思う。
また、変革期や革命期や動乱期には、過激派が常に現れると思う。
明治維新だって、血なまぐさいテロリストをたくさん産んだ。
中東や中央アジアで繰り広げられている、アメリカやイスラエルに対する抵抗運動も、
当然過激派を産み出す。
しかし、センセーショナルなので目立つけれど、実際の変革は、もっと地下の見えない
ところで進んでいるのだと思う。“テロリスト”は、波頭のようなものではないだろうか?
イラクの将来をこれから形作っていくのは、イラクでまじめな生活をしている、あるいは
それを望んでいる、大勢の人たちだ。変革の主体は彼らだ。この人たちが、アメリカを
嫌っているからこそ、アメリカは苦戦しているのだろう。
上滑りな過激派など、所詮は消えていく泡沫じゃないだろうか。
それから、最後の「ゴメンね。」は必要ないな。
> しかし首切り場面など、見た目にもショッキング、
> かつ憎悪と嫌悪しか呼ばないような映像をネットで公開し、
> 自分たちが闘っている相手と同様の野蛮を世界に知らしめることが、
> 主張する側にとって本当に有効なものであると言えるだろうか?
>
> (中略)
>
> あーいうものが主張として有効だと信じて疑わないテロリストたちの野蛮さを、
> 大殺戮にもったいぶった理由をつけてそれを正当化しようとする大国の姿勢と
> 同様に、おれはに軽蔑する。
>
> そしてそれに溜飲を下げるであろう、
> 罪なき人々も同じように、受け入れることができない。
>
> ゴメンね。
ピューピュー北風氏の「今の私たちの日常的な生活感覚からすると、という限定を
設けなくてはいけないと思います。もしかすると、私たちの感覚は、地球上に
今のところあまり普遍的でないのかもしれないし・・・」という反論は、かなり
有効だと思うが、私も、まとまらないままに反論は一応用意してはいる。
私としては、アメリカやイスラエルの「テロリストとの戦い」あるいは「テロには
屈しない」という論理に与することにつながるようなことは一切したくないのだ。
“テロリスト”と呼ばれている人たちのなかの、槍玉にあがっているような行動を
肯定するつもりはないが、だからといって、ブッシュやシャロンや小泉の主張に
結果的に味方するようなことは、極力避けたいという気持ちがあるのだ。
新約聖書の「ヨハネによる福音書」の8.1-8.11には、とても有名な話(場面)がある。
律法学者やファリサイ派の連中が、イエスの前に、姦通の罪を犯した女性を連れてきて、
「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています」とイエスを試す。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」
とイエスは応えられた。これを聞いて、この女を連れてきたものたちは、一人また
一人と立ち去っていった…。
アラブの人たちを殺したものに、中東に爆弾をばら撒いたものに、“テロリスト”の
非道を糾弾する資格はない!
アメリカやイスラエルのやっていることは、「俺たちは罪を犯したことはない」などと
いけしゃあしゃあと言って、この哀れな女性を石で惨殺してしまったようなものだと
私は思う。
また、変革期や革命期や動乱期には、過激派が常に現れると思う。
明治維新だって、血なまぐさいテロリストをたくさん産んだ。
中東や中央アジアで繰り広げられている、アメリカやイスラエルに対する抵抗運動も、
当然過激派を産み出す。
しかし、センセーショナルなので目立つけれど、実際の変革は、もっと地下の見えない
ところで進んでいるのだと思う。“テロリスト”は、波頭のようなものではないだろうか?
イラクの将来をこれから形作っていくのは、イラクでまじめな生活をしている、あるいは
それを望んでいる、大勢の人たちだ。変革の主体は彼らだ。この人たちが、アメリカを
嫌っているからこそ、アメリカは苦戦しているのだろう。
上滑りな過激派など、所詮は消えていく泡沫じゃないだろうか。
それから、最後の「ゴメンね。」は必要ないな。
これは メッセージ 8007 (yokoyama88882003 さん)への返信です.
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