“平和ボケ”のお部屋

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>どこまで自由であるべきか(2)

投稿者: mrmc1964 投稿日時: 2004/03/12 14:45 投稿番号: [5647 / 17759]
さて、文化の優劣について考えたことを書いておくよ。そうしないと、君はいつまででも絡んでくるだろうからね。私の問題意識をごく簡単に書けば以下のようなことだ。正直に言って、突っ込みどころ満載の、極めてラフなスケッチにすぎないが、今、君を相手にして、これ以上のものを書く気にはならない。どのみち、君相手では、建設的な議論など行われないだろうしね。

文化というものは、人間の歴史とともに、進歩してきた。分かりやすい例は、科学技術だ。科学技術は「自然現象に関する知の創世とその利用」であり、文化の一部であるが、歴史を通じての科学技術の進歩を疑う者はいない。科学技術ほど明白ではないが、文化の他の分野、思想、哲学、政治、そして宗教でさえ、長い時間スケールで見れば、確実に進歩の階段を登ってきた。例えば、民主主義と呼ばれる政治システムは、あるいは、基本的人権の尊重という思想は、人類の誇るべき到達点である。それらは最先端の科学技術に対応するものと言ってもよい。

文化はそれが根付いた地域に応じて、多種多様な展開と進歩の様相を見せる。だから、一般的には文化の優劣を比較するのは意味がない。しかし、他方で、文化は人間が担うものだ。だから、人間そのものについての考え方、例えば人権に関する理念といったものは、あまねく全ての文化の底流に共通に存在する概念である。もし、基本的人権が尊重されていない文化があるなら、それは、少なくともその一点において、遅れている、劣っていると断じて、なんら差し支えない。早いか遅いかは別にして、そのような文化は変貌し、人権との折り合いを付けていくことになる。もちろん、折り合いの付け方は、文化に応じて様々あるだろう。また、現実の問題として、ある種の妥協が必要な場合もある。しかし、そうであっても、人権というの理念が成立している社会であるかどうかは、なお厳然として判定されるべきである。

宗教も人が担う文化の一部に他ならない。もし、その教義が、例えば基本的人権という概念に背馳するなら、教義は変えられなければならない。あるいはその解釈が変わらなくてはならない。実際に、多くの宗教はそのようにして変わってきたし、逆に、宗教との対峙が、人間に関する思想や哲学の進展に触媒の役割を果たしてきた。ともあれ、宗教も聖域ではない。我々の現在の到達点から見て、遅れた部分を指摘することを躊躇する必要はない。あくまである特定の部分に関してのみ、という限定つきでものを言うなら、劣った宗教もあれば進んだ宗教もある。

  私はヘジャブ問題というのは、上のようなことを考えるのに格好な場を与えてくれると思っている。また、それが、人権思想が生まれたフランスで起こったことを象徴的に思う。

さて、これで、君とはバイバイするよ。
元気で頑張りなさいね。
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