Re: “平和ボケ”のお部屋
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2012/12/13 16:03 投稿番号: [17735 / 17759]
>assaraamaaleicomnjpさんのお考えでは、まず間違いのない多くの目撃者のいる中で行われた凶悪犯罪に関しては死刑を適用すべきとのようですが、私はそのような場合でも死刑は廃止すべきと考えます。>
従来の慣例に倣って、死刑に相当する凶悪犯罪については、死刑になってもしかたがないだろう・・・・くらいには考えています。
>人間存在とは常に二律背反的でありアンビバレントなものです。ですから究極的に人間は自分の意思だけで行動しているわけではないのであり。死刑に値するほどの犯罪を犯したとしてもその個人だけの問題で済ましてしまうことはできないと思います。
>つまり「死刑」とは、本来社会的なものであるはずの「犯罪」を個人的なものとして処分して、なんの関係のない第三者がただ一時的なカタルシスを得るだけで 事件そのものをすぐ忘れてしまうことで事件の背後にあるものを風化させ見えなくさせているだけの前近代的な制度なのです。
釈迦は「我が事のように」他人の事を考えろと説いていますよね?
この事につながり、後の大乗仏教では、釈迦の説教をし始めた根本の動機が重視され、「誰でも」が「我が事のように」解脱できると解釈されたんですよねえ?
今、日本の未来さんのこの言葉を突き詰めて行けば、死刑制度に限らず、国家的な制度そのものを否定する事になりませんかねえ?個人的な幸福を追求する為の手段である選挙制度さえ否定されそうですねえ?
第三者の個人的意思を過小評価する事は突き詰めれば、全体主義につながり得ます。
仏教を一つの文化として重要視する事が許されるならば、「個人的な感情が成就されなければ、多数の成就も存在しない」という考え方も当然できる訳で、いわゆる「私刑」を国家によって奪われている「個人」としての主張が優先される事もまた当然の、死刑反対者の論理とは対極のところに存在し得るはずだと私は考えています。
もし仮に、被害者家族とは直接関わりのない第三者が、その被害者の事を慮って、「我が事のように」考える事のできる人達であったならば、それは「ただのカタルシスをうるだけのもの」と断定してしまうにはあまりにも人間の尊厳を軽視しているものではないだろうか?と考えます。
宮台氏の意見やドーキンスの意見を織り交ぜて、立派な展開をされているようで、それも一方の見方であるという意味で私はあなたのご意見を否定しようとも思っていませんが、そもそも日本の独自の文化を否定しないのであれば、私の意見もまた、十分尊重されるべきものだと個人的には考えています。
おそらくは死刑反対派と容認派の行き違いは、こういうところから始まっているんでしょうね?
やがて日本人の多くが欧米の文化の押し寄せる波によって、死刑反対派の多数に流される時が来るかもしれませんが、一つの大きな文化が淘汰されるのは、個人的には非常にもったいなく、寂しいものだと感じています。
従来の慣例に倣って、死刑に相当する凶悪犯罪については、死刑になってもしかたがないだろう・・・・くらいには考えています。
>人間存在とは常に二律背反的でありアンビバレントなものです。ですから究極的に人間は自分の意思だけで行動しているわけではないのであり。死刑に値するほどの犯罪を犯したとしてもその個人だけの問題で済ましてしまうことはできないと思います。
>つまり「死刑」とは、本来社会的なものであるはずの「犯罪」を個人的なものとして処分して、なんの関係のない第三者がただ一時的なカタルシスを得るだけで 事件そのものをすぐ忘れてしまうことで事件の背後にあるものを風化させ見えなくさせているだけの前近代的な制度なのです。
釈迦は「我が事のように」他人の事を考えろと説いていますよね?
この事につながり、後の大乗仏教では、釈迦の説教をし始めた根本の動機が重視され、「誰でも」が「我が事のように」解脱できると解釈されたんですよねえ?
今、日本の未来さんのこの言葉を突き詰めて行けば、死刑制度に限らず、国家的な制度そのものを否定する事になりませんかねえ?個人的な幸福を追求する為の手段である選挙制度さえ否定されそうですねえ?
第三者の個人的意思を過小評価する事は突き詰めれば、全体主義につながり得ます。
仏教を一つの文化として重要視する事が許されるならば、「個人的な感情が成就されなければ、多数の成就も存在しない」という考え方も当然できる訳で、いわゆる「私刑」を国家によって奪われている「個人」としての主張が優先される事もまた当然の、死刑反対者の論理とは対極のところに存在し得るはずだと私は考えています。
もし仮に、被害者家族とは直接関わりのない第三者が、その被害者の事を慮って、「我が事のように」考える事のできる人達であったならば、それは「ただのカタルシスをうるだけのもの」と断定してしまうにはあまりにも人間の尊厳を軽視しているものではないだろうか?と考えます。
宮台氏の意見やドーキンスの意見を織り交ぜて、立派な展開をされているようで、それも一方の見方であるという意味で私はあなたのご意見を否定しようとも思っていませんが、そもそも日本の独自の文化を否定しないのであれば、私の意見もまた、十分尊重されるべきものだと個人的には考えています。
おそらくは死刑反対派と容認派の行き違いは、こういうところから始まっているんでしょうね?
やがて日本人の多くが欧米の文化の押し寄せる波によって、死刑反対派の多数に流される時が来るかもしれませんが、一つの大きな文化が淘汰されるのは、個人的には非常にもったいなく、寂しいものだと感じています。
これは メッセージ 1 (軽騎兵 さん)への返信です.
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