“平和ボケ”のお部屋

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精神鑑定・・2

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2012/03/01 00:54 投稿番号: [17420 / 17759]
親の暴力は、些細なことから突然始まるために、Aは、どう対応すればいいのか分からなかった。

  Aが母親を守ろうとすると、父から容赦ない暴行を受け、逆に母親がAを守ろうとすると、父は母に対して暴力を加えた。


「どうしようもなかった、何もできなかった、亀になるしかなかった。僕は守れなかった」


面接中あまり感情を表現しないAですが、母のことになると無力感に顔を歪めていました。

  このようにAは、常に父親の雰囲気をうかがってびくびくするような環境で育ちました。本来、愛を与えてくれるはずの親から虐待され続けたA。そして、彼の人間関係の取り方、他人との距離の置き方は混乱してゆくのです。



*「母の首つり遺体」の記憶

  父親の暴力に怯える母とAは、ともに被害者同士として、共生関係を持つようになります。


母親は親族からも遠く離れ、近くに相談相手もおらず孤立した生活を送っていた。その中で、長男のAとの結びつきを深めていった。母親はAに期待し、付っきりで勉強を見た。Aも、母親が自分の面倒を見てくれることが本当にうれしかったと語っています。


そしてAが小学校の高学年になると、2人の繋がりは親子の境界をあいまいにする。母子相姦的な会話も交わされるようになりました。


  母親から「将来は(母とAとで)結婚して一緒に暮らそう。お前に似た子供ができるといいね」と、言葉をかけられたことがあったといいます。


「母の期待に応えられるかどうか、本当に似た子が生まれるのか不安だった」と、Aは当時の心境を振り返っています。


Aは私との面談で、母親のことをしばしば妻や恋人であるかのように、下の名前で呼んでいました。


それほど母親への愛着は深く、母親が父親の寝室に呼ばれて夜を過ごすと、「狂いそうになるほど辛かった」とも話しています。


  母親は虐待により不安定になり、精神安定剤や睡眠薬にも頼るようになり、自殺未遂を繰り返しました。


そして、Aが中学生(12歳)の時に38歳で自殺します。その際、自宅ガレージで首を吊った母親の遺体を、Aは目撃している。


  Aにその時の状況を聞くと、求めてもいないのに詳しい図面を描き始める。


それほどその時のショック、精神的な外傷体験は鮮明に記憶されている。Aは「(母親の)腰のあたりがべったり濡れていた。その臭い(自殺時の失禁)も覚えている」と語りました。


彼はまず、「父親が愛する母を殺したのだ」という念を強くします。これには二重の意味がある。


「父親の虐待で母が死を選んだ」という思い。


さらに、父親が第一発見者を祖母から自分へ変えたことから、「父親が直接殺したのではないか」という疑いです。


  母を殺した父を殺そうと包丁を持って、眠っている父のもとに行ったこともあったが、かわいそうで実行できなかったともいっています。


弟と2人で殺すことを考えたが、まだ負けると断念したともいっています。


  同時に、Aは「母親を守れなかった」との罪悪感も募らせていった。後追いして自殺しない自分を責めてもいます。


  こうした生育歴と過酷な体験により、Aの精神的発達が極めて遅れた状態になったと考えられる。




理不尽な暴力を振るう父親を恐怖し避ける。一方、母親とは性愛的色彩を帯びた相互依存に至った。父親の暴力がいつ始まるか、怯えながらの生活は他人との適切な距離感を育むことを阻害した。Aは、他人との交流を避け、ゲームの世界に内閉していった。


  そして、母親の死の場面は、強烈な精神的外傷としてAの心に刻まれた。


この精神的外傷は、以後、何度となく彼の心の内を脅かすこととなりました。
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